2013-02

日常の中で起こった悲劇

今回のブログは、私の判断で地域及び本ブログに登場する飼い主さんやペットちゃんの名前は伏せさせていただきます。

 

A市の小型犬のCちゃんのお葬儀とご火葬のご依頼があり、私は飼い主さんのYさん宅に訪問しました。

Yさんは私が訪問したときから、終始、伏し目がちであり、事故で急死したCちゃんを抱いたままソファーに腰掛けCちゃんの体を撫でておられました。

応対してくださったのはYさんの旦那さんで、私は旦那さんの指示にしたがってリビングに祭壇を設置しました。

Yさんの腕の中のCちゃんは頭部を含め、上半身がかなり押しつぶされたような状態であったことから、何らかの事故に巻き込まれたことが想像できました。

しかし、そのことを訊ねるには、今のYさんの状態からは酷であることは、誰の目からも明らかであり、私はその場に静かに正座し、暫しの間、無言でYさんのことを見守っていました。

旦那さんもYさんに声をかけるのを躊躇っているのが伝わったので、私は旦那さんに「かなりショックが大きいようなので、少しこのまま、時間を置きましょう」と小声で耳打ちしました。

旦那さんも、同じ考えであったようで、無言で頷いたのでありますが、そのとき不意にYさんが顔をあげ「そこ(祭壇)に寝かせるんですか?」と鼻を啜りながら私に訊ねられたのです。

「はい。でも、まだお時間はとってありますので、そのまま抱いてあげていてもいいですよ」と私は静かな口調でいいました。

「・・・すいま・・・」

Yさんはそこまで言って大粒の涙を流しながら腕の中のCちゃんに顔を埋めるようにして体を震わせて泣かれました・・・

嗚咽をあげるYさんに旦那さんが歩みより、肩を抱きよせながら優しく腕を摩っておられました。旦那さんも目にも涙が浮んでいたので、私は席を外したほうが良いと判断し、旦那さんに目と手で「少し外に出ときます」と合図をしリビングから退室し、玄関から外に出ることにしたのです。

 

 

外に出た私は、自宅前に駐車した火葬車の前に人の気配を感じました。

 

近寄ってみるとYさん夫婦と同年代のご夫婦と思われるお二人が火葬車を覗きこみながら沈んだ表情で立ち竦んでおられるが見えたので、私は「すいません。もしかして車が邪魔でしたでしょうか?すぐに移動させます」と頭を下げながら駆け寄りました。

「いえいえ。そうじゃありません。あの・・もしかしてペットの葬式屋さんですか?」と男性の方が私に訊ねられたので、私は「はいそうです。Yさん宅のCちゃんのセレモニーで訪問させてもらったんです」と答えました。

男性は沈んだ表情をしたまま「実は私達は向えのFと言う者なんですが・・・」と真向かいの家を指さしながら言った後、さらに聞きずらそうに「あの・・・Yさんから事情は聞かれました?」と私に訊ねれたのです。

私は何のことを指して訊ねられたのか見当がつかなかったので「いえ。私もついさっき到着したばかりなんです。それにYさんの奥さんがひどく落ち込んでられるので、少し時間を置こうと、外に出ただけなので、まだ何もお話はしてないんです」と正直に返答しました。

Fさんのご主人は「・・・そうですか・・・それは無理ないです・・・」と視線を落とされて仰ったので、私は「あの、Cちゃんが亡くなった経緯をご存知なんですか?」と聞きました。

Fさんのご主人の後方でFさんの奥さんはハンカチで顔を押さえるようにしながら俯き加減でいらしたのですが、そんな奥さんを気遣うように旦那さんが「いや・・・実は、こいつ(奥さん)が過って車庫入れしたときCちゃんを轢いてしまったんです・・・」と静かな声で悲しい事実を告げたのでした。

「・・・そうだったんですか・・・」と私はやりきれない気持ちを隠しきれずに言いました。

 

Fさんのご主人の話を整理すると、前日、いつものように車で買物をすませたさんは、車庫の門を手で開け、周りに誰もいないことを確認した後、車庫入れをされたそうです。

バックで車庫入れをしたようなのですが、アクセルをゆっくり踏み込んだとき、左の前輪が何かを踏んだような違和感を感じたので、すぐに車を止め、降りて確認をしました。

そこにはお向かいさんのワンちゃんが横たわっており、目を開けたまま意識を失っていたそうです。

すぐに事態を理解したFさんの奥さんはCちゃんを抱き上げ、数回揺すりましたが、意識は回復せず、Cちゃんを抱いたままYさん宅のインターホンを押しました。

インターホンからYさんの奥さんの「はい」という声がしたので「大変です。すぐに出てきてください」と声をかけました。

Yさん宅のドアは閉まっていましたが、外に通じるリビングのドアは20センチほど開いたいたそうです。

Yさんの奥さんは何事かと不安な表情で外に出てこられたのでありますが、Fさんの奥さんに抱かれている犬が、すぐにCちゃんだとわかり「ええ!Cちゃん!?どうしたんですか?」と叫ぶように訊ねました。

Fさんの奥さんは、自身の過失を踏まえたうえで、今あった事実を伝え、そして、CちゃんをYさんの奥さんに渡し、すぐに自分の車で病院に行きましょうと促しました。

Yさんの奥さんは状況を把握できないようで、Cちゃんの体を揺らしながら何度もCちゃんの名前を呼んでいたそうです。

その後、Yさんの奥さんは旦那さんに電話をされ、勤務地が自宅から近い旦那さんは電話で報せをうけたあと、自宅に戻ってこられ、その足でYさん夫婦は自分の車で病院に向かう用意をされました。

責任を感じていたFさんの奥さんは「一緒にいきます」と申し出たのですが、Yさんのご主人は「大丈夫です」と丁寧にお断りをされ、助手席にCちゃんを抱いた奥さんを乗せ、大急ぎで病院にいかれたそうです。

一人、取り残されたFさんの奥さんは何も手に着かないような心境のまま、その場に立ち竦み、自分の旦那さんに電話されました。

奥さんから事故の報告をうけたFさんの旦那さんも急遽、会社を早退し、1時間後、帰宅されたのですが、Yさん夫婦はまだ病院から戻ってこられていませんでした。

自宅前で呆然としていた奥さんにFさんの旦那さんは、もう一度、詳しく事故のことを聞き、二人でYさんご夫婦の帰りを待つことにしたそうです。

FさんとYさんはお向かいさんでありますが、新築住宅に引越してこられて間もないということもあり、挨拶程度のお付合いしかされていなかったらしく、どのように対処すればいいのか思案されていたときにYさん夫婦が車で戻ってこられました。

 

車越しのYさん夫婦は目を真っ赤にされており、そのことが悲しい結末を物語っていました・・・

 

Yさんの奥さんはFさん夫婦を避けるように、早足でCちゃんを抱いたまま自宅に入っていかれたので、Fさんの旦那さんはYさんの旦那さんに歩み寄り「この度は取り返しのつかないことをしてしまい申し訳ありません」と深く頭をさげ「私達にできることがあれば何でも仰ってください」と謝罪の意を伝えたそうです。

Yさんの旦那さんは視線を下にしたまま「はあ・・・まあ扉を開けっ放しだった私の方の不注意でもありますし・・・なにかあれば言います。では・・・」と頭を下げ、やりきれない表情のまま自宅に入っていかれたようでありました。

 

Fさん夫婦は、仕方なく、自宅に戻り、Yさんから何らかの連絡があるのを待つようにしながら翌日を迎え、当社の火葬車に気付き二人で外に出てこられたところだったのです。

 

ブログのスペースが無くなりましたので、その後のお話は次回に紹介させていただきます。

私の好きな場所

私がプレシャス会館に行った際、真っ先に向かうのは納骨堂の永代供養像なのですが、お参りをした後、必ず向かう場所があります。

それは、ペットを喪った人から旅立ったペットに宛てた手紙が掲示されているボードの前であります。

最近、ペットを亡くし、新たに加わった手紙やかなり前から掲示されている手紙も含め、もう、何百回と目を通した手紙もあるのですが、私は、その全ての手紙に目を通します。

その中には、納骨堂に参拝に来る度に、前の手紙を回収し、新しい手紙をその場で書いて帰られる方もいらっしゃいます。

ですので、掲示板の前には手紙と筆記用具を置いた机と椅子を用意させてもらっています。

 

そのような手紙を読んでいると、時の経過と共に飼い主さんの心の変化や成長を読み取れることもあり、ペットを喪った直後、悲しみに沈んでいた飼い主さん達の心が前向きになられて行く姿を感じることもできるのです。

手紙は書き手によって様々な表現を見せてくれるものであり、イラストや写真。中にはマンガ風で生前のペットの思い出を書いてらっしゃる方もいて、何回読んでも飽きがきません。

気がつけば掲示板の前に一時間以上いることもあります。

手紙の大半は旅立ったペット達への感謝の気持ちを表したものであり、その表現やニュアンスはは人によって違うのですが、どの手紙からも愛情が伝わってきます。

 

また、この手紙は納骨堂に来られた人なら誰でも読むことが出来るように永代供養像に向かって右側の壁に掲示させてもらっており、同じようにペットを喪った人達を励ますことにもなっています。

人間は自分は同じ悲しみをもった人が居るとわかっただけでも、勇気付けられるものであり、そんな、顔も知らない人達の書いた手紙の何気ない一言が、時に、悲しみの迷路に迷った人を救う道しるべになることもあるのです。

 

手紙を書いてくださった全ての人にこの場を借りてお礼を言わせてもらいたいです。

 

皆様、本当にありがとうございます。

心から感謝しています。

プレシャスコーポレーション 野村圭一

 


旅立つペットからの贈り物

小学生の頃、飼っていた小鳥が亡くなったとき、落ち込んでいた私に祖母が「ペットは家族の災いをひとつ持って天国に逝ってくれたんだよ。だから、感謝の気持ちで手をあわしてあげなさい」と教えてくれたことがありました。

その時は祖母の言ってる意味が理解できず、ただ言われたまま合掌をしたことを覚えています。

ペットが飼い主家族の災いを持って天国に旅立つ・・・

祖母のその言葉はいつしか記憶の隅に埋もれていたのですが、大人になり、ペット葬儀という仕事をするようになって、ふと、祖母のその言葉を思い出したのです。

思い出すと同時に、その言葉の真意を知りたくなったのでありますが、祖母はすでに他界しており、確かめる術がありませんでした。

そんな折、弊社と提携しているお寺の住職さんがペットを喪った飼い主さんに、祖母と同じような意味合いの言葉を説法の席でされているのを聞いたのです。

私はその言葉の真意を確かめるべく、セレモニーが終わってから住職さんに訊ねました。

住職さんはいろいろためになるようなお話をしてくれたのですが、話の大半は命の尊さを説いたものであり、直接、その言葉の裏付けに繋がるような内容は含まれておりませんでした。

その後もペット葬儀の席で、とくに高齢の飼い主さんの口から同じようなことを聞く機会がよくあり、その都度、そう言われる根源というのか、言葉のルーツを訊ねるのですが、ほとんどの方が「昔からそう言うのよ」とこたえるだけで、私自身、未だに納得できずにいます。

 

なぜ、私がその言葉に拘るかには理由があって、日々のペット葬儀という仕事を通じて、亡くなったペットの飼い主さんから、ペットが亡くなる間際のお話を含め、生前のいろんなお話や、飼い主さん家族のその後のお話などを伺う機会があるのですが、その中で、まさしく、ペットが身代わりとは言いませんが、飼い主さん家族の不幸を取り除くようにして、天国に旅立ったと感じる話を聞くことがよくあるのです。

 

例をあげると、ペットの死を機に不登校だった息子さんが学校に行くようになった話や、飼い主さんが病を患い、医師からも回復の見込みがないと宣告されていたにも関わらず、ペットの死後、奇跡的に回復されたというような話。

あるいは長い間、子宝に恵まれなかったご夫婦がペットの死後、すぐに妊娠したという話もよく聞く話であり、実際、私の身近でもそのような話がありました。

もちろん、不登校にせよ、不妊にせよ、ペットの死と直接関係のないことなので、偶然の話という枠は越えていないのも事実ではありますが、当の飼い主さん達は口を揃えて「ペットが私達家族にしてくれた最後のプレゼント」という思いで受けとめておられるのも事実であります。

※実は最近でもて、本当にそう思えるようなお話を私が担当したセレモニーで聞く機会がありました。そのご家族さんの承諾を得れましたら、またこのブログで紹介させてもらいます。

 

ペットが飼い主家族の災いを持って天国に旅立つ・・・

そう言われるようになったのはいつからなのか、またその根源となるような言い伝えや話が存在するのか・・・

 

とても気になります・・・

どなたか知ってる人がいらっしゃったら教えてもらいたいものであります。



 

想い出の場所での思いがけない再会

寝屋川市のチワワのケイスケちゃんのセレモニーを承ったのは昨年の10月でありました。

セレモニーを執り行った場所は、ケイスケちゃんが生前に大好きだった場所で、Oさんに連れられていつも散歩に来ていた淀川に程近い静かな広場でありました。

Oさん宅は一軒屋であり、自宅に駐車スペースもあったのですが、Oさんの希望により、想い出の場所である、その広場でお別れのセレモニーをすることになったのです。

ケースケちゃんのセレモニーにはOさんとOさんのお兄さんとお父さん。そしてOさんの二人のお子さんが立ち会われました。

広場に到着し、火葬車の後方部に祭壇を設置し、Oさん家族はお焼香をあげられ、最後のお別れの時間を過されておられました。

季節は秋ということもあり、心地良い風の吹く中、セレモニーは進み、ケイスケちゃんが大好物だった食べ物とお花を一緒に火葬炉に納め、ケースケちゃんは想い出の場所から天に召されたのでした。

ご火葬が無事に終わり、お骨あげもその場所で立ち会われたOさん家族全員の手で執り行われ、無事にセレモニーは終わり、その足でケースケちゃんの遺骨の納められたお骨壷はプレシャス会館に納骨されることになりました。

会館に到着したOさん家族は供養象にお参りされてから納骨を済まし、帰り際、Oさんが「無理言って(想い出の場所でのセレモニーを執り行ったこと)申し訳ありませんでした。きっとケースケも喜んでいると思います。私達家族も悔いのないお別れができました。本当にありがとうございました」と深く頭をさげてこれ以上のない御礼と労いの言葉を仰ってくださいました。

「無理なんて、とんでもありません。ケイスケちゃんやOさん達がご満足してくださったのなら、私も嬉しい限りでございます」と私は恐縮しながら頭を下げてそう言いました。

Oさんはじめ、ご家族の方達も清清しい表情で会館を後にされたので、私は一人残った会館で自然と笑顔がこぼれ、もう一度、ケースケちゃんのお骨壷に合掌をしたのでした。

 

そして、年が明けた1月。寝屋川市のNさんという方から愛犬のセレモニーのご依頼がありました。

Nさん宅はOさんの自宅から歩いて数分の場所でありましたが、Nさんの自宅は駅前のマンションであり、駐車スペースも無いということでしたので、どこか別の静かな場所でのご火葬を希望されたのです。

私はすぐにOさんから教えてもらったケイスケちゃんの想い出の広場のことが頭に浮び、Nさんに「ここから車で10分ほどの場所にとても静かで良い場所があるんですよ。以前、Nさんと同じようにペットを亡くされた人に教えてもらった場所なんですけど、その時も、その場所で火葬したんですが、もしよろしければ、そちらに行きましょう」と提案しました。

Nさんは承諾してくださり、立会いを希望されていたNさんとNさんの娘さんの二人が火葬車に同乗されました。

そして、私はその場所に二人を案内したのです。

私が、その広場に行くのはケイスケちゃんのセレモニー以来であり、向かう道中、無意識にケイスケちゃんのセレモニーのことを思い出していました。

Nさんは、その場所をとても気に入ってくださり「すごく良いところですね。ここでお願いします」と笑顔で仰ってくださり、そこでセレモニーを執り行うことになったのです。

この日は1月というのに春を思わせるほど暖かったのですが、その季節外れの陽気が広場の雰囲気をより際立たせていたのかもしれません。

私がセレモニーの準備をしている間、Nさんは亡くなったペットちゃんを抱きながら近くのベンチに腰掛けて、娘さんと二人でペットちゃんを撫でながら温かい日差しの中で最後のお別れの時間を過ごしておられました。

私もベンチの方に歩み寄り、ペットちゃんに触れさせてもらったのですが、太陽の日差しとNさんの体温が伝わったのか、ペットちゃんの体はとても温かかでありました。

それに、優しく閉じられた瞼やリラックスした表情から、本当に気持ちよく眠っているようにしか見えなくて、私とNさん母娘は「もしかして生き返ったのかも・・・」と心臓に手をあてて確認したほどでした。

しかし、悲しいですが、奇跡はおきず、やはり鼓動は止まったままでした・・・

 

その後、20分ほど、私とNさん母娘でペットちゃんを囲みながら過ごしていたとき、Nさんが「よし」と自分にも言い聞かせるようにして立ち上がると「そろそろいこうか」と優しくペットちゃんに話しかけ、火葬車の方に歩き出されました。

私と娘さんは、そんなNさんの後に着いて行くように、火葬車まで行き、私はNさんと一緒にペットちゃんを火葬車の後方部に設置した祭壇に寝かせてあげました。

Nさん、娘さん、私の順番で焼香をあげた後、ペットちゃんを火葬炉に納め、合掌をもってお見送りをし、火葬の点火スイッチを入れたのでした。

点火の瞬間、Nさんも娘さんも大粒の涙を流しておられ、二人寄り添うようにして、先ほどまで居た、ベンチに戻り母娘肩を並べて腰掛けられました。

 

30分後、ご火葬は無事終わり、その場でお骨あげをすることになり、Nさんと娘さんは優しい箸使いで遺骨を丁寧に少しずつお骨壷に納められていたのですが、その時、その光景を後方で見守っていた私に「野村さん」と呼ぶ声がしたのです。

声がした方を振り向くと、そこにはケイスケちゃんの飼い主さんのOさんがいらして、車から降りてこられるところでした。

驚いた私は「あ!Oさん!」と思わず大きな声で言ってしまったのですが、Oさんは「久しぶりです。その節はお世話になりました」と頭を下げながら笑顔を浮かべて言ってくださったのですが、私がセレモニーの最中だということを咄嗟に理解されていたようで、控え目に挨拶をされていました。

「どうしたんですか今日は?」と訊ねた私にOさんは「何となく、ここに来たくなって・・・実は、あの日(ケイスケちゃんのセレモニーの日)以来、悲しくなりそうで、ずっと、ここに来てなかったんですよ・・・」

Oさんは目に涙を溜めて、そう仰ったのでありました。

私は「そうだったんですか・・・僕もここに来たのあの日以来なんですよ・・・それにしても、同じ日の同じ時間にこの場所を訪れるなんて、すごい偶然ですよね」と驚きを隠さずそう言うと、Oさんも「本当に。似た人がいるなって思ったんですけど、まさか本当に野村さんとは・・・びっくりです」と仰っていました。

私はふとセレモニーの最中であることを思い出し、Nさん母娘に「ああ。どうもすいません。実はNさん。先ほど、お話した以前にこの場所で愛犬のセレモニーをされて、僕にこの場所を教えて下さったOさんです」とOさんを紹介しました。

Oさんは深く頭を下げながら「どうもセレモニーの最中にお邪魔してすいませんでした。初めましてOです」とNさんにお詫びしながら自己紹介をされ、それを受けたNさんも「いえいえといんでもございません。こんな素晴らしい場所でお見送りできて、とても嬉しくおもっています。これもOさんが野村さんに、この場所を教えてくださったおかげです」と頭を下げて仰っておられました。

NさんOさんどちらとも、良識ある大人の挨拶を交わされた後、「通りがかりで申し訳ないのですが、合掌させてもらっていいですか?」とOさんがNさんにお伺いをたてられ、Nさんも「どうもありがとうございます。天国でOさんのペットとうちのペットが仲良くしてもらえるように私もお願いします」と言って一緒に合掌をされておられました。

NさんもOさんも心からペットを愛する者同士であり、最愛のペットを喪った者同士でもありました。僅かな時間でも心通ずるものがあったようで、お二人が肩を並べて合掌してる姿を後方から見ていた私は、いろんな感情が込み上げてきて胸が熱くなるのを感じました。

 

本当に心温まる光景でありました。

 

そしてOさんは「では私はこれで」と合掌を解かれ、最後にもう一度、深くNさん母娘に頭を下げて、ゆっくりとした足取りで広場の方に歩いて行かれたのでした。

そんなOさんの後ろ姿を見送りながらNさんは「とても胸が清清しいです。本当に今日、ここで(セレモニー)出来てよかった」と言った後、私を振り返り「ありがとうございました」と深く頭を下げてくださいました。

 

全てのセレモニーが無事に終わりNさん母娘を自宅までお送りした後、私は、あらためて不思議な感覚に浸っていました。

Oさんも私も、あの広場に行ったのは、あの日以来なのに、Nさんの言葉を借りると「ペット達が導いてくれた」かのように偶然の重なりがもたらした不思議な時間でありました。

合掌の後、立ち去るOさんの目には涙が流れていたことに私は気付いていましたが、おそらくOさんにとってもこの日は、新しい一歩の始まりの日だったのかも知れません。

 

見方を変えれば、Oさんにとって、この偶然は悲しみを呼び起こすことになったのかもしれないとも考えられましたが、きっとプラスになると私は信じております。

 

同じ場所から天に召された二つの命がきっとそのように導いてくれると信じているのです・・・

天に還る家

前にも当ブログでお伝えしましたが、会館及び納骨堂が手狭になってきたことにより、プレシャス会館の引越しを検討しております。

ペット葬儀をご依頼してくださる飼い主さんは、いろいろなご職業の方がいて、その中には不動産業を営んでおられる人もいらっしゃり、そのような人にもご協力いただいて、候補地をあれこれ訪ねる日々が続いておりますが、本社の守口市からも近く、なおかつ、緑が残っているような場所となってくると、四条畷市か寝屋川の星田、あるいわ交野市ぐらいに絞られてきます。

 

新しい会館のコンセプトは「天と自然に還る家」というイメージで、豪華な建物や最新の設備が無くとも、温かみと自然を感じれる場所であれば良いと考えています。

 

今までと同じように飼い主さんと一緒にペットの旅立ちを見届け、そして、飼い主さんが精霊になったペット達にいつでも気兼ねなく会いに来れるような、そんな場所にしたいと思っています。

賃貸か、買取かはこだわっておりません。

どなたか、そのようなイメージに合う場所をご存知の方はいらっしゃいませんか?

もし、ご存知の方はお手数ですが、会社まで連絡ください。

よろしくお願いします。

 

0669976888 プレシャスコーポレーション 野村



 

「使命」~隣人の愛犬が殺処分されると聞かされたとき~ 最終章

Mさんのお母さんは当初、リッキーちゃんがAさん家族のことを恋しがって寂しがらないか心配ではありましたが、リッキーちゃんは新しい環境にすぐに馴染み、そんなリッキーちゃんにお母さんをはじめ、お父さんや二人のお子さん達も温かく接しました。

そして、リッキーちゃんがMさん家の一員となって数日が経った頃、お母さんは念のため、リッキーちゃんに健康診断をうけさせてあげることにしたのです。

 

そこでお母さんは医師から思いもしないことを通告されました。

 

リッキーちゃんは心臓病を患っており、治療と通院が必要であるという事実をお母さんは医師から告げられたのです。

重い現実を受止め、お母さんは自宅に戻りました。

大型犬の10歳といえば高齢であります。医師の話ようからも、完治は見込めず、先も長くはないことも予想できました。

皮肉なことにリッキーちゃんとMさん家族との新しい生活は闘病生活のスタートでもあったのです・・・

 

お母さんは「きっとこれが私の使命だったんだ」と気持ちを前向きに切替え、リッキーちゃんの看護をやりぬく覚悟を決め「一日でも、いや一秒でも長くリッキーが生きれるように頑張ろう」と心に誓ったのです。

お母さんからリッキーちゃんの病気を知らされた家族は一同にショックを隠せませんでしたが、お母さんをはじめ、Mさん家族は明るく前向きに闘病生活に取り組むことを決めました。

リッキーちゃんも普段から大人しかったせいか、病気を感じさせないほど、幸そうにMさん家族との生活を送り、大型犬にとって過酷な季節である夏も、元気に乗越えたのです。

そんなリッキーちゃんがMさん家にやってきて1年半が経とうとしてたときでした。

リッキーちゃんの幼馴染で1年半前からは家族でもあった猫のブ~ちゃんが急死したのです。

ブ~ちゃんは4頭いるMさん家のペット達のリーダーでもありました。

ブ~ちゃんの急死に、Mさん家族は深く悲しみました・・・

 

そして、ブ~ちゃんのセレモニーを請け負ったのは弊社プレシャスコーポレーションで、担当は私でありました。

ご依頼を請けた私は初めてMさん家族とお会いしたのでありますが、玄関先で真っ先に迎えてくれたのは人懐っこい表情のリッキーちゃんでありました。

均等のとれた体格や愛らしい仕草から私はその時、リッキーちゃんが病気を患っているようには見えませんでした。

おそらくMさん家族の介護と愛情がそのように思わせたのでありましょう。

今になって思えば、あの時が私がリッキーちゃんと会った最初で最後の日だったのです・・・

 

ブ~ちゃんが旅立ったのはリッキーちゃんがMさん家に来て二回目の夏を乗越えた頃でした。

季節は秋から冬に差し掛かる頃、リッキーちゃんは体調を崩し、日に日に体力が衰えていきました。

大好きな散歩もすぐに疲れてしまい、少しの距離を歩いただけで、立ち止まるようになり、途中で自宅に引き返し、そのまま横になって休憩するような日々が続いたのです。

寝たきりの状態で過ごすことが多くなったこの頃、リッキーちゃんは庭の小屋ではなく、自宅でMさん家族と過ごすようになりました。

 

そして、お医者さんから「いよいよ、その日が近ずいています。おそらく、長くはありません」と宣告をうけたのであります。

二年前、医師から心臓病の宣告をうけてから、覚悟を決めて看護してきたものの、何より、その日が近いことは、一緒に暮らし、介護をしている自分が一番、感じていたことでもありましたが、いざ、そのときが近いと、あらためて言われるとショックは少なくありませんでした。

 

その夜、お母さんは、引越して行った、リッキーちゃんの元の飼い主さん家族に電話をし、その事実を伝えた後、お母さんは「会いにきてあげてください」とAさんの息子さんに伝えたのでありました。

翌日、息子さんはMさん家を訪れ、リッキーちゃんと二年ぶりの対面を果たし、リッキーちゃんは尾を振ってAさん家の息子さんを迎えたそうです。

この日、リッキーちゃんはAさんの息子さんとMさん家族と一緒に散歩に行くことになったのですが、この数日とは比べ物にならないくらいリッキーちゃんはハシャギながら元気に歩き、途中で立ち止まることもなく、長い距離を楽しそうに歩いたそうです。

Aさんの息子さんとMさん家族に囲まれながら歩くこの日の散歩はリッキーちゃんにとって生涯で一番、幸な時間だったかもしれません。

そして、その数日後、リッキーちゃんはMさん家族に見守られながら眠るように息を引取ったそうです・・・

 

ご火葬の間、私はお母さんにこのお話を聞かせてもらったのですが、ご火葬が終わりに近づいた頃「失礼な質問ですが、Aさんの息子さんが来てくださったとき、喜ぶリッキーちゃんを見て複雑な心境になりませんでしたか?」と訊ねました。

お母さんは「全然。喜んでるリッキーの姿を見て、むしろ来てもらって良かったと思いました」とおこたえになられたのです。

お母さんは私とは比べものにならないほどの人格者だと感じ、私は自分の質問が品位に欠けたものだと気付き恥ずかしくなりました。

もし、自分がMさん家族の立場だったらどうしただろう・・・私はその場で思考を巡らせましたが、正直、お母さんのようには出来なかったように思います。

それはAさんの息子さんを呼んだことだけではなく、リッキーちゃんが殺処分されると聞かされて引取ることも含め、自分はMさん家族のような行動はとれなかったと感じました。

「お母さんは立派な人です。心からそう思います」と私は本心からそう言ったのですが、お母さんは首を横に振って「いえ。とんでもないです。リッキーを引取ったのはリッキーのためというより自分のためですから」と仰いました。

私は「お母さん自身のため?ですか?」と言葉の意味を理解できずに聞き返しました。

お母さんはうなずきながら「はい。最初、リッキーが殺処分と聞かされたとき、可哀想だとは思いましたが、自分には何も出来ないとも思いました」とポツリと仰ったので、私は「でも、最終的には引取られましたよね?それはリッキーちゃんの事を想ってのことではないのですか?」と訊ねました。

「もちろんそれもあります。お隣さんとはいえ、10年も間近で暮らしてきたリッキーが処分されるのを黙って見過ごすなんて、耐えれないって気持ちもあったのも事実です。でも、それよりも増して、もし、今、自分が決断しなければ、残りの人生この先ずっと後悔すると思ったんですよ・・・そんな気持ちのまま生きていくのは嫌だし、それなら後悔しない道を選ぼうと・・・だから自分のためなんです・・・」

気丈なお母さんが、この日、唯一、目を潤ませたのは、この言葉を仰ったときでありました。

私はお母さんの、この言葉に思わず黙り込んでしまいました。

正確には、その言葉の重みに何も返答できなかったのです。

ただ、「なんて正直で深い言葉なんだろうと」と心酔するしか出来ませんでした。

私とはあらゆる意味で精神のレベルが違いすぎる。そのことを痛感させられた瞬間でもありました・・・

 

ご火葬が無事に終わり、リッキーちゃんの遺骨はお母さんの手によって大きなお骨壷に納められました。

全てのセレモニーが終わり、帰り際、私はお母さんに「ねえお母さん。お母さんは何のお仕事をされているのですか?」と訊ねました。

お母さんは大切そうにリッキーちゃんの遺骨を胸に抱きながら「保母です。近くの保育園で保母をしているんです」と優しい笑顔を浮かべてそうこたえました。

「天職ですね」と言った私に「どうですかね」と言ったお母さんの顔は本当に優しさに満ち溢れていました。

 

リッキーちゃんがMさん家族と暮らしたのは二年間でありましたが、それが長いのか短いのかは私にはわかりません。

でも、最後の時間をMさんの家族と一緒に過ごせたことはリッキーちゃんにとって幸福であったことは間違いないと思います。

リッキーちゃんの笑ったような表情の寝顔がそのことを物語っており、リッキーちゃんはその表情を浮かべたまま天に召されました。

一度は、殺処分の判断をされたものの、Mさん家族によって、それを救われ、リッキーちゃんは12年の天命をまっとうできました。

 

波乱と愛に満ちたリッキーちゃんの犬生に合掌

Home > アーカイブ > 2013-02

  • 亡くなったペットの遺骨で作るメモリアルグッズ
  • 永代供養
  • ペット火葬について日々のスタッフブログ
  • ペットロス 愛するペットの死を乗り越えるために
  • 訪問可能エリア 大阪・京都・兵庫・滋賀・和歌山・奈良 その近辺のエリアに関してもお気軽にお問い合わせください。

ページトップへ