2013-01

精霊達は一緒について来てくれるのだろうか?

間もなくプレシャス会館は1周年を迎えます。

当初の予想を遥かに上回るご依頼により、納骨棚も半分以上が既に契約済みの状態であります。

満堂になるのは、もはや時間の問題であり、支配人を始め、スタッフの間からもう少し広いところにお引越しをしましょうと提案があがっています。

私もその必要があるとは考えているのですが、どうしてもこの納骨堂を手放す気にはなれないのであります。

理由は、過去にもこのブログでお話させてもらったことがある、納骨堂に眠る精霊達の存在です。

会館二階の納骨堂は、いろいろな不思議な現象を巻き起こしてくれる精霊達が宿る場所であると私は信じているので、納骨堂だけでも現状のままにしておきたいのでありますが、仮に、そうした場合、管理する人間が必要ですし、家賃や維持費の他に人件費も必要となるのは当り前の話で、経営面だけを重視した場合、スタッフと一緒に納骨堂も新しい会館にお引越しするのが得策であります。

しかし、お引越ししたことで、劣化しないモカちゃんの食パンが劣化したり、今まで好きなように歩き回っていた精霊達が静かになったら、すごく寂しくなってしまいそうで、私はそれが気掛かりなのです。

もちろん、スタッフ達も、そのことは気にかけており、ミーティングでは毎回のようにその件は持越し議題となっています。

引越しても精霊達がついて来てくれればいいのですが・・・

いずれにせよ近いうちに決断しなければなりません。



 

ペットを偲ぶ冬に咲く花

3歳で永眠した枚方市のYさんのセキセイインコのジジちゃんのご火葬のご依頼を請け、私はYさん宅を訪問しました。

クリスマスが近づいたその日は大阪でも粉雪が降り、底冷えのする寒い日でありました。

お電話で指示を受けたとおり、私はYさんの自宅の裏門からお庭に入り、庭の中央に火葬車をとめました。

庭ではYさんが待っていてくださり「わざわざお越しいただきありがとうございます」と丁寧に挨拶をしてくださいました。

Yさんは小さなケースを持っておられ、ケースの中にはその日の朝に急死したジジちゃんが綺麗なお花と一緒に眠っていました。

「綺麗な小鳥ですね」と言った私にYさんは「ありがとうございます。眠ってるみたいでしょ?」と笑顔を浮かべながら仰ったのですが、目には涙がたまっていました。

Yさんは「ヒナの時から体が小さくて、無事に育つか心配だったんですけど、ここまで大きくなってくれて・・・」とそこまで言って言葉に詰まりました。

ジジちゃんは産まれたときから、他の兄弟よりも体が小さく、いつも兄弟達に踏まれていたそうで、そんなジジちゃんを見かねたYさんがジジちゃんだけをカゴから出し、自分の手で育てたインコでありました。

セキセイインコをヒナのときから育てる場合、ご飯も数時間ごとにコマメに与えないといけないので、とても世話がかかり、想像以上に大変であり、Yさんも最初の数ヶ月は付きっ切りで世話をしたそうです。

ある程度、大きくなったとき、親鳥や兄弟達のカゴに戻したのですが、Yさんの手で育ったジジちゃんは、兄弟達と馴染めず、襲撃されて怪我を負ったこともあり、結局、その後もYさんの部屋で暮らすことになったそうです。

「家にいるときはずっと一緒にいたので、もうジジの存在は自分の体の一部のような感覚でした」とYさんは涙ながらに仰ってました。

 

ジジちゃんの火葬はたくさんの植物や花が咲き誇るYさん宅の庭で執り行いました。

20分でご火葬が終わり、ジジちゃんの遺骨は小さなお骨壷にYさんの手によって納められました。

Yさんは「年が明けたら、ジジのお骨をそこの花壇に埋葬する予定なんです」とハート型の花壇を指差しました。

「何の花の種を植えるかはもう決まってるんですよ」と笑顔で言ったYさんに私は「何のお花ですか?」と訊ねました。

Yさんは、私の方を見ながら本当に優しい表情をして「シクラメンです」と言いました。

そして、Yさんは「なぜシクラメンなのかわかります?」と茶目っ気っぽい笑顔をして私に聞きました。

恥ずかしい話、私はシクラメンという花の名は知ってはいましたが、花言葉はおろか、どんな花なのかも知らなかったので、正直に「・・・わかりません」と答えました。

Yさんは「シクラメンの花言葉は『内気』『ハニカミ』なんですよ。ジジにピッタリだと思って。それにシクラメンは12月の誕生花なんです。上手に育てたら真冬に花を咲かせるんですよ。だから毎年、ジジの命日にはシクラメンが咲くようにしてあげたいんです」と花壇を見つめながら説明してくださいました。

咲いた花を見てペットを偲ぶというのは切ない中にも温かみを感じれる話だと思い私は素直に感動しました。

帰り際、Yさんは庭を出て表通りまで見送ってくださり「綺麗に咲いたら写真を送ります」と笑顔で仰っておれれました。

「ありがとうございます」と私は運転席から頭を下げ、Yさん宅を後にしました。

私は帰り道、ハート型の花壇にシクラメンの花が咲いている風景を想像しながら雪が舞う国道1号線を会社に向けて走らせたのでした。



 

残酷な儀式

ペットロス症候群という言葉は最近になって、ペットを飼っていない人の間でも広く認識されるようになりました。

今さらペットロス症候群について私が語る必要はないかも知れませんが、私は大きく分けて二つのタイプに分類して考えております。

一つ目はペットと死別したことによる失意や悲しみを伴う喪失感から、ペットがいなくなった生活に順応できず、無気力な状態になってしまい、そのストレスから心身に影響を及ぼすことであり、一般的にペットロス症候群と診断される症状です。

二つ目はペットの死を現実のこととして受け入れられず、ペットが亡くなったことを認めたくないと強く願うあまり、現実逃避してしまい、ペットが亡くなってからもペットのご飯の用意をしたり、いつもペットと歩いた散歩コースをいつもの時間に一人で歩くような生活を続けてしまうことであります。

一つ目の症状は最愛のペットを喪ったのだから、症状の違いはあるにせよ、ほとんど人が何らかの影響は出るものであり、その期間の長さや軽重に個人差はありますが、家族や友人や恋人などの支えの中で時の経過と共に少しずつ改善されていくものであります。

また、最近では専門のカウンセラーさんも増えましたので、そのような立場の人に相談することも一つの方法なのかもしれません。※(個人の感想ですが、私はあまり、効果が無いと思っています)

 

私は医師でもカウンセラーでもないので二つ目のことをペットロス症候群と呼べるのかはわかりませんが、ペット葬儀屋としての私の経験上、こちらの症状の方がはるかに深刻で、何らかの解決を図る必要性があると思っております。

なぜなら一つ目の症状は、ペットが死んでしまったことで、一度、悲しみの底まで落ち込みはしますが、ペットが亡くなったことは飼い主さん自身も自覚しているので「自分でもどうにかしたいのいに、どうにもならない」というような心情の中、もがきながらも自分自身の意志で歩いておられるのに対し二つ目の症状は、ペットの死そのものが無かったことと飼い主さんが信じこまれているので、終わりが無く、出口のない迷路を歩き続けることになってしまい、やがて、疲れ果てて、仕事を辞めたり、日常の生活を放棄してしまう結果に繋がるのこともあるからです・・・

 

弊社プレシャスコーポレーションのセレモニースタイルを語るとき、必ずと言っていいほど「立会い」という言葉がキーワードになります。

それは、過去にこのブログでも何度も書いたことがあるように立会い火葬は「業界不信感の払拭」という意味合いもあるのですが、実はそれは後付けであり、真の目的ではありません。

立ち会うことで、遺骨のすり替え等の不正がないことの証明になり、それが信用に繋がるというのは、あくまでも結果論にすぎず、プレシャスコーポレーションが提唱する立会い個別火葬の真の目的は「飼い主さんの心の区切りをつけてもらうため」のものなのであります。

私が創業前にセレモニーの流れをどのようにするのかをスタッフ達と話し合ったとき、一番こだわり時間を割いたのがその部分でありました。

私がブログの中でも「動物も好きですが、動物に愛情をもって接する大人が好きだから、そんな人達のお役に立ちたいからこの仕事を始めた」と頻繁に発言するのには、そのような意味合いを含んでのことなのであります。

 

プレシャスコーポレーションのセレモニーはお葬儀の後、飼い主さんの手によって出棺してもらい、火葬炉に納め、希望であれば火葬の点火のスイッチを入れてもらい、そして飼い主さん自らの手で拾骨してもらっております。

それは、見る人から見れば「飼い主にそこまでやらすとはなんて残酷な会社なんだ」と非難をうけることなのかも知れません。

もちろん、私達も飼い主さんの心の状態を見極めながら進めることを心掛けているので、感情的にどうしても立会えない人に無理強いはしませんが、その必要性を説明することも怠りはしません。

 

私達ペットセレモニー会社の人間など、最愛のペットを喪った人の前では悲しいくらい無力な存在であります。

セレモニーが終わった後、飼い主さんを襲う一つ目の症状を癒すことなど、我々には到底、出来はしません・・・

しかし、少なくとも飼い主さんが二つ目の症状に陥ることだけは未然に防げると信じており、その想いだけはセレモニーを通じお伝えするようにして参りました。

 

涙の出棺。震える指で押す点火スイッチ。遺骨になってしまったペットの姿に力なく崩れる膝。

飼い主さんにとって残酷ともいえる儀式の全てを間近で見守る私達の仕事も辛い仕事ではありますが、飼い主さんの心に区切りをつけてもらうためには大切なことであり、それは、出口のない迷路に飼い主さんが入らないことを誰よりも願って旅立ったペットから託された我々の役割であると私は思っています。

ペットの名前と家族内での認識違い

当り前ですがペットには必ず名前があります。

もう一つ、当り前ですが、同じ家で暮らしている家族ならペットの名前は知っています。

でも、呼び名は同じでも、ペットの名前を紙に書くと、家族内であっても違う場合があるのです。

例えば自分はカタカナのイメージで「コロ」と呼んでいたのにお母さんは「ころ」とひらがなのイメージで呼んでいたということは、意外と多いものなのです。

ペット葬儀の仕事をしていると、お骨壷等にペットの名前を飼い主さんに書いてもらう機会が必ずあるのですが、その際に家族内での認識違いが明るみになることがあります。

16歳で永眠したゴールデンレトリバーの風子ちゃんの飼い主さんご家族のHさん一家が、まさにその典型でありました。

Hさん家族はご両親に三人の娘さんからなる五人家族なのですが、風子ちゃんのお葬儀とご火葬とお骨あげを無事に終えたとき、お骨壷の名前札にお父さんが筆を入れる段階になって、長女さんが「えー!ふうこって漢字やったん?私ずっとひらがなって思ってた」とお父さんに訊ねられたのです。

お父さんは筆を止め「そうや。風の強い日に家に来たから「風の子」で「風子」って名前にしたんや。そやなお母さん?」とお母さんに確認をしました。

お母さんは「それはそうやけど、私もどっちか言うたらひらがなのイメージで呼んでたわ・・・」とお父さんに申し訳なさそうに答えました。

「ほら~ぜったいひらがなやわ。今更「風子」って漢字や言われてもイメージ違うわ。お父さんひらがなで書いてよ」と長女さんはお父さんの肩を押しながら言いました。

想定外の指摘を長女さんから受けたお父さんは「ワシかて「ふうこ」って言われたらイメージ違う!」と腕組みをして反論したのです。

長女さんは一歩も引かないというような口調で「だったら多数決な!あんたらはどっちなん?」と二人の妹さんたちに尋ねました。

矛先を向けられ次女さんと三女さんは困惑した様子だったのですが、次女さんが「私は正直どっちでもないわ」と笑いながら答えました。

それを聞いた長女さんは「どっちでもないってカタカナで「フウコ」ってこと?」と眉間にシワを寄せ次女さんに聞きました。

次女さんは、笑いながら「違う。ひらがなはひらがなやけど「う」じゃなく伸ばす感じ。「ふ~こ」って真ん中が「う」じゃなく「~」て伸ばすねん」と指で空気をなぞりながら説明をしました。

それを見た三女さんも「私も同じ「ふ~こ」って思ってた」と次女さんの腕をつかみ握手するようにしながら笑顔で言いました。

妹達との意思の疎通の思惑が外れた長女さんは、少しだけ苛立った様子だったのですが「どっちにしても「ふうこ」が私とお母さんで2票。「ふ~こ」も2票やからお父さんの漢字は却下が決定な」とお父さんのほうを見て笑いました。

納得いかないのはお父さんで「お前ら風子をもらってきたのも名前を付けたのもワシやぞ!そやったらワシに権限があるのは当り前の話や!」と声を荒げ気味に言ったのですが、長女さんは、ひるむ様子も見せず「大声出してもあかんあかん。権限なんてない。うちはいつでも多数決で決めるやん。こんなときだけ権限とかズルイわお父さん」と宥めるように言いました。

次女さんと三女さんも長女さんに続くように「ほんまやズルイわ」「大人げないわお父さん」とお父さんに詰め寄りました。

「お前らな!ほんまにわからん奴らやな!」とお父さんも反撃に出たのですが、さすがに三人の娘さんたちの同時攻撃には分が悪かったようで「じゃあ好きにしろ!」と言い残し筆を置いて席を立ちました。

席を立ったお父さんは家族が集まっていたリビングを出てすぐ隣のキッチンの椅子に腰掛けたのですが、まだ納得がいかないようで「だいたいやな、お前ら風子の散歩かってロクにも行かんかったのにやな、こんなときだけ飼い主面してもあかんねんぞ。風子の面倒を一番見たのはワシとお母さんやろが」とその場からリビングの娘さん達に向かって諭すように言ったのですが、三人の娘さん達は息の合った芸人のように

長女さん「ねえ散歩行った回数が多い人が名前決めてもいいって法律ある?」

次女さん「ないない」

三女さん「そんな話聞いてことないよね?」

次女さん「ないない。まったくない」

という具合で聞く耳持たずの姿勢を崩す様子はありませんでした。

そして、娘さん達が話し合った結果、ふうこ派の長女さんとふ~こ派の次女さんがジャンケンで決めることになったのですが、それまで、あまり口を挟まなかったお母さんが、その光景を見て「あんたら、どうでもいいけど名前ってとっても大切なんやで。いくらなんでもジャンケンで決めるってのはどうかなってお母さんは思うねんけど・・・」と意見したのです。

お母さんにそう言われた娘さん達も「まあ・・・確かに・・・」と理解を示しました。

「じゃお母さんはどうやって決めるのがいいと思うの?」と長女さんが訊ね、お母さんは「あんたらの気持ちもわかるけど、やっぱり、ここはお父さんに決めてもらうのがエエんと違う?」と優しく三人に諭しました。

娘さん達はお母さんに対して反論はしなかったのですが、どことなく、納得のいかないような表情をされていました。

お父さんはお母さんの指示を受けて意気揚々になるかと思ったのですが、娘さん達とは違った意味で神妙な面持ちをしたまま、ことの成り行きを見守っているような感じでした。

そしてお母さんが沈黙を破るように「ねえ葬儀屋さん。葬儀屋さんはどう思われます?」と、それまで家族のヤリトリを自分の出る幕ではないと遠目に見ていた私に意見を求められたのです。

突然の質問に私は一瞬たじろいたのですが「いや・・・まあ何と言いますか、名付け親という言葉があるくらいですから、最初に風子と名前を付けたお父さんの意見を尊重するのが良いのではないかと私は思います」と意見を述べました。

「そうよね。お母さんもそう思うは」とお母さんが賛同してくださり、長女さんも「わかった!じゃあ漢字で風子で決まり!あんたらもそれでいいよね?」と次女さんと三女さんに訊ねました。

ふ~こ派だった次女さんと三女さんも「うん。それでいいよ」と快く承諾し、キッチンのお父さんに向かって「漢字に決まったで。お父さん、名前書いてあげて」と手招きをしながら笑顔で言いました。

お父さんは自分の意見が通ったにも関わらず「そうか?漢字でエエのか?じゃあ書こか?」と照れくさそうに言い、リビングに戻ってこられ、あらためて、お骨壷の札に「風子」と漢字で筆を入れておられました。

 

これで一見落着と思いきや、今度は「お父さんもっと綺麗に書けないの?」「風子の風が大きすぎるやん!」とお父さんの字体に注文をつけておられました。

なにはともあれ、最後は家族仲良く風子ちゃんの遺骨の納められたお骨壷を順番に手で撫でられていたので、私は微笑ましくその光景を見届けHさん宅を後にしたのでした。

 

ペットを飼われてる皆さんも、一度、ご家族の方にペットの名前を紙に書いてもらってください。

ペットの年齢だけ一緒に暮らしていたのにも関わらず家族の中で認識の違いがあるかも知れませんよ^^

すごく悲しい気持ちになるとき

ペット葬儀の席で悲しんでいる飼い主さんを見たとき、私は少し心が温かくなります。

でも、誤解のないように。

人が悲しんでる姿を見て喜んでるという意味ではなく、それだけペット達が愛されていたんだと伝わったとき、葬儀という悲しみの席であっても、その光景に心が温かくなるという意味です。

ほとんどの飼い主さんが表面に出す出さないは別として、愛するペットのお別れは悲しいのは当然であり、ごく自然のことではありますが、稀に、全く悲しまれていないというか、正確にはそれが我々に伝わってこない飼い主さんがいらっしゃいます。

もちろん、ペットが亡くなったとき、役所で焼却依頼するのではなく、当社のようなペットセレモニー会社にご火葬とお骨あげと供養のご依頼をされるのだから、ペットに対しての愛情がないわけではないと思うのですが、感情を表面に出さず、口数も少ないような飼い主さんというのは、淡々とされているので、こちらが拍子抜けのような対応になってしまうことがあるのです。

 

そして、そのような飼い主さんのほとんどの方が、立会いではなく、葬儀~火葬~骨上げ~永代供養を全て当社に一任される一任葬をご依頼される傾向にあります。

もちろん、愛情が無い=一任葬とは限ったこではなく、どうしても、お仕事の都合上、お時間のとれない一人暮らしの方や、小さいお子様に見せたくないとの理由から、立会いしたい気持ちはあるのに、やむなく、一任葬をご依頼される人もいらっしゃいます。

あるいは、過去に当社でご依頼を下さった際、その仕事ぶりを評価していただき、共感と信頼の元、全幅の信頼を寄せて、当社、及び、担当者に一任葬をご依頼してくださる飼い主さんも少なくありません。

 

大阪市のNさんから猫のご火葬のご依頼があったのは昨年末の深夜でありました。

「猫が亡くなったので(火葬を)お願いしたいんだけど、今から来れます?」と電話があり、私はNさんの自宅マンションに向かいました。

深夜ということもあり、道が空いていたので、30分ほどでマンションに到着しました。

マンションの正門のインターホーンを押すと同時にスピーカーから「どうぞ」というNさんの声がしてドアロックが解除されました。

私はお葬儀で使う祭壇と備品が入ったカバンを肩に通し、エレベーターでNさんの部屋がある階まで上り、Nさんの部屋の前まで行きました。

そしてインタホーンを押そうとしたときドアが開き、Nさんが「遅くにすいません。お願いします」と言って、亡くなった猫ちゃんが入ったダンボール箱を私に手渡したのです。

私は「あの、お焼香等の用意もしてきたのですけど」とセレモニーの流れを説明をしようとしたのですが「ああ。そういうのはいいです。夜も遅いですし、全て任せますので」と言って一任葬をご希望されたのでした。

私はNさんが、あまりにも淡々とされていたので「・・・はい・・・わかりました・・・」と困惑気味に返答してしまい、そんな私を見たNさんは「どうしたんです?なにかマズイんですか?」と逆に表情をくもらせてお訊ねになられたのでした。

私は気を取り直し「いえ。そういう訳ではないのですが、初めて当社にご依頼くださったときは、ほとんどの方がお立合いを希望されるものでして」とお答えしました。

「ふ~ん・・・そうなんですか」とNさんは不思議そうに言われたので「はい。もちろんペットとの最後のお別れの時間だということもあるのですが、当社にご依頼するのが初めての場合、我々の仕事内容を見定める意味合いもあって、お立会いされるのです」と私は説明をしました。

それを聞いたNさんは「ああそういう意味ですか。大丈夫です。いろんな会社のホームページを見た上で、おたくに電話しましたから。ちゃんと信頼できそうやと思って決めたんで、気にせんといて下さい」と笑みを浮かべて仰いました。

「ああ・・・それは・・・ありがとうございます・・・」と私は頭を下げました。

そしてNさんは「お金は封筒に入れて箱に入れてます。19000円で間違いないですよね?」とご確認をされたので「はい間違いないです。領収書は車にありますので、すぐに持ってまいります」と言ったのですが、Nさんは「ああいいです。領収書はいいです」と受取りを拒否されたのでした。

「いや、しかし」と私が言うと「じゃあ、下のポストに入れといてください」と室内着姿のNさんは寒さが堪えきれないと言わんばかりに両手で肩を摩りながら言いました。

「わかりました。では、ポストに入れときますね」と私が答えると「はい。じゃあよろしくお願いします」と言ってドアを閉められたのでした。

ドアが閉まった後、私はなんとなく、行き場をなくしたような心境になり、その場で立ち竦んでしまい、そして、無意識にダンボール箱の蓋を開けて猫ちゃんの顔を見たのです。

初めて見たNさんの猫ちゃんはとても綺麗な毛並で、その顔は安らかなものでありました・・・

猫ちゃんは毛布で包まれており、その傍らに代金の入った封筒がありました。

丁寧に包まれた毛布からNさんが、決して愛情が薄いのではなく、お時間が無かっただけなんだと自分に言い聞かせたのですが、正直、少しだけ切なさが残りました・・・

だからと言って自分の考えや信念を飼い主さんに押し付けるのは間違いであると理解していたので、私は猫ちゃんの入った箱を両手で抱き、ドアの前から立去りました。

そして、エレベーターで降りるとき、もう一度、箱を開けて猫ちゃんの顔を見たとき、なんとなく悲しい気持ちになり、私は無意識に涙をこぼしてしまったのです・・・

 

私は車に戻り、領収書を切って封筒に入れ、そのままNさんのポストに入れ、マンションを後にしました。

 

 

ご火葬の場所は、本社の近くの公園で公園の広場の脇に咲いていた花を摘んで一緒に火葬をしました。

無事にご火葬とお骨あげが終わり、翌朝、納骨をするために会館に行きました。

会館では支配人が納骨堂の掃除をしていたので、私は「おはよう」と声をかけ「これ、昨日の深夜に依頼があった子の遺骨です」と支配人にお骨壷を差し出しながら言いました。

昨夜からの流れを引きずったままなのか、私は自分でも気づかないうちに浮かない顔をしていたようで、支配人が「おはようございます。何かあったんですか?」と挨拶を返すと同時に訊ねてきました。

「いや。別に大したことじゃない」と返答したのですが、支配人は察したように「FKNだったんですか?」と聞いてきました。

支配人が口にしたFKNとは不完全燃焼の略語で飼い主さんと満足いくような交流が出来なかったときに使う社内用語であります。

私は「まあ・・・そんな感じ」と軽く返したのですが、支配人が詳しく聞かせてくださいと言ったので、昨夜のNさんとのヤリトリを説明しました。

事情を聞いた支配人は「まあ深夜だからでしょ。基本、ペットセレモニー会社に依頼される人に悪い人はいませんよ」と私を励ますような口調で言ったので「うん。それはわかってるねん。ただ、なんというか、もう少し・・・うん・・・まあ・・・そうやな」と口篭ったまま曖昧な返答をしました。

「どっちにしても僕が責任もって里親扱いで管理しますんで、そんな顔せんとって下さいよ」と支配人は笑顔で言いました。

里親扱いとはプレシャススタッフが飼い主さんに代わり、一任葬で執り行ったペットちゃんの遺骨を永代供養までの期間、管理することであります。

亡くなったペッちゃんに対して里親という表現は適切でないかもしれませんが、一番温かみを感じれる言葉なんで、先ほどのFKN同様、社内用語として定着しています。

里親扱いとなったペットちゃんの納骨棚は支配人の手によって毎日、綺麗に清掃され、ペットちゃんが寂しがらないようにスタッフ達がマメにお供えをするように心掛けております。

私は、Nさんの猫ちゃんの遺骨が納めれたお骨壷を支配人に手渡し、本社に戻りました。

 

Nさんから本社に「昨日の夜遅く猫の火葬を頼んだNですけど、野村さんいらっしゃいます?」と電話があったのは、その日の夜でした。

「私が野村です」と返事をしたところ「ああ昨日はどうもお世話になりました。あの・・・うちの猫の遺骨ってもう埋葬されましたか?」と質問されたので「いえ。当社では一任葬の場合でも半年間は個別に納骨堂で保管させてもらいますので、会館の納骨堂にございますよ。どうされたのですか?」と逆に訊ねました。

Nさんは「よかった。いや、昨日の今日で申し訳ないんですけど、やっぱり、ある程度の期間は家で供養してあげたくなって・・・」と申し訳なさそうに仰いました。

私は、そんなNさんの申し出に、なんだか嬉しくなってしまい「そうですか!では今からお届けにあがります」と声を弾ませ言いました。

Nさんは「本当ですか?でも、まだ会社なんで、もしよければ22時以降に来てもらえたらありがたいんですけど」と言われたので、私は猫ちゃんのお骨壷を会館にとりに行き、22時にNさんのマンションを訪問しました。

Nさんは部屋に通してくださり、私はお骨壷の蓋を開け、Nさんに遺骨の説明(どこの部分のお骨かを説明したという意味)をしました。

「ありがとうございます。信頼はしてましたけど、本当にちゃんとしてくださったんですね」とNさんは笑顔で仰ってくださいました。

「もちろんです。一任葬であっても飼い主さんに代わってさせてもらっております。ところで、なぜ、自宅供養されたいとお気持ちが変わったのですか?」と私は素朴な疑問を訊ねてみました。

Nさんは少し照れたような顔で「今朝、会社行く前にもう、猫のご飯とか世話とかしなくてもいいんやなって思ったら、急に寂しくなって・・・そちらに任せたけど、ちょっと後悔してしまって・・・」と優しい表情でぽつりと言いました。

そして「ああ、後悔と言っても別にプレシャスさんを信用してないって意味ではなくて、自分弔ってやれなかったことに後悔したって意味ですよ」と慌てて付け足すように仰りました。

私はNさんの言葉の意味合いをちゃんと理解していたので「わかってます^^」とだけ返事しました。

「それにね」とNさんがリビングのモニターを指差し「うちのマンションって玄関のところに人が居るとカメラが作動してあそこに写るんですよ。野村さん、昨日、あの後、結構長い時間、玄関の前に居てはったでしょ?」と予期せぬことを訊ねられました。

「え?見てはったんですか?」と私は驚きを隠さず言いました。

Nさんは無言で頷き「モニター越しでも野村さんがうちの猫を見て悲しそな顔してるのわかったんですよ。他人でもこんなに想ってくれてるのに、自分て薄情なんかなって考えされました・・・」と視線を落とされたのでした。

その後、Nさんと20分ほど供養の手法を説明させてもらい、私は帰ることにしました。

帰り際、Nさんが「当分の間、自宅で心こめて供養します。また、何かあれば電話しますね」と仰り、玄関先で深く頭を下げて私を見送ってくださいました。

 

帰りのエレベーターホールで見たマンションからの夜景は昨夜見たのと同じはずなのに、私には別の場所と感じれるくらい綺麗な景色なように見えました。

帰る日を待ち続けて・・・

毎年、お正月の時期はご依頼件数が重なります。

今年は正月三が日だけで、通常月間の半数近いご依頼があり、フル回転で対応させていただきました。

例年なら、対応しきれず、お断りすることも多かったのですが、今年は「どうしてもプレシャスさんで」というありがたいお言葉を多くいただき、最大で3日間、お待ちくださったご依頼者さんもいらっしゃいました。

お正月にペット葬儀のご依頼件数が増える理由として、一年を通じてもっとも気温が下がるということもあり、特に南国出身のペットにとっては厳しい季節ということもありますが、私はそのことよりも、もっと大きな理由があると感じています。

それは、お正月にはほとんどのご家族が全員揃われるということです。

お盆やGWに帰郷できなかった人もお正月は故郷で過ごされるもので、ペット達はおそらく、そのことを本能的に理解していて、危篤の状態でありながらも、進学のため故郷を離れた息子さんや他府県に嫁いだ娘さん。あるいは単身赴任のお父さんが帰ってくるのを待っているのだと思います。

そのことを裏付けるように、この正月休みの期間に当社で請け負ったお葬儀でも、離れて暮らしていた家族が帰ってきたのを見届けてから息をひきとったペット達が大勢いました。

とくに犬ちゃんは、その傾向が強く、最後の力を振り絞りながら、大好きだった飼い主さんの帰りを待ち続けるのです。

そんな犬ちゃんの中には、医師から「この2日がやまです」と11月に宣告されたのにも関わらず、一ヶ月以上、頑張り抜いて大好きな飼い主さんの帰りを待って息を引きとった子もいました。

偶然かも知れませんが、プレシャスで請け負ったペット葬儀では、飼い主さんが間に合い、ペットの最期を看取れたという人のほうが多く、私は葬儀の席でご家族からそのようなお話をたくさん聞く機会があり、新年早々、何度も心をうたれました。

そして、お葬儀も年に一度しか揃うことがなくなったご家族全員でお見送りをされるのです。

ご家族揃ってのお見送りはプレシャスコーポレーションが掲げる理想のお別れの形でもあり、そのことから私は、いくらハードなスケジュールであってもお正月のセレモニーは、とても大切な志事だと思っております。

ペット達にとって大好きな飼い主さんに看取られながら旅立つことは、悲しい別れであると同時に感謝の心を伝えれる最後の時間なのかもしれません・・・

罪を背負って生きるよりも

弊社プレシャスコーポレーションの統計では、病死や老衰で亡くなるペットが8割で残りの2割が不慮の事故死であります。

事故といっても様々で、車やバイク等にひかれる接触事故、他の動物に襲撃される事故が大半を占めるのですが、中には飼い主さんの不注意でペットが死に至るようなケースも稀にあり、そのような場合、飼い主さんは自身の過失を責め、必要以上に罪の意識を背負われるものであります。

実例をあげますと、過って階段や高場から落としてしまったり、自宅の車庫入れのとき、気付かずひいてしまうような事故がその典型であります。

自身の過失で亡くなったペットのセレモニーの席では飼い主さんは言葉を発することが出来ないほど失意の底に沈んでおられ、慰める家族の言葉も耳に入らないものであり、ましてや我々、葬儀会社の人間の言葉など何の意味も持たない戯言のように空しく響くだけであります。

自ずと、そのようなセレモニーでは、ほとんど飼い主さんとお話することも出来ず、何も伝えれずに、その場を後にすることになります。

 

大阪市のJさんもそんなお一人でした。

Jさんは生後間もない仔猫と暮らしていたのですが、ベッドからおりたとき、過って足で踏んでしまい、そのまま仔猫は息をひきとったのです。

お葬儀の席で、Jさんは、終始、涙を流しておられ、ハンカチで顔を隠して泣いておられました。

お葬儀とご火葬の打ち合わせはJさんの友人の方が飼い主のJさんに変わって指示してくださり、無事に終えたのですが、その日、私はJさんと会話はおろか、ちゃんと顔を見合すこともないままJさんの自宅マンションを後にしたのです。

仔猫の遺骨が入ったお骨壷はそのままプレシャス会館にて納骨されることになり、納骨の儀は私が代理で執り行うことになったのですが、なんともやりきれない気持ちのまま、会館に向かい納骨を無事に終えたのでした。

Jさんのことが気掛かりではあったのですが、考えようによっては、Jさんにとって、このことは一日でも早く忘れたいことであるかもしれないので、私はその後、Jさんに連絡することはありませんでした。

 

Jさんの仔猫のセレモニーから2週間経った頃、会館に女性が一人、お花を持参してお見えになられました。

たまたま、会館に私が一人で居るときだったので、私が応対したのですが、私はその女性からお名前を聞くまでJさんと気づきませんでした。

それはJさんも同じで、Jさんは、ショックからセレモニー当日の記憶はほとんど無いようで、私が仔猫ちゃんのセレモニーを担当したと知って、あらためて、頭を下げておられました。

私はJさんを二階の納骨堂に案内し、仔猫ちゃんの納骨棚の場所までお通して、一緒に手をあわしました。

Jさんは、肩を揺らしながら、震えるように声をあげて泣かれたので、私はハンカチを差し出し落ち着かれるのを待って一階の応接室に案内し、温かいお茶をいれました。

お茶を飲まれたJさんは少し落ち着きを見せたのですが、表情は沈んだまま、一言だけ「取り返しのつかないことをしてしまった・・・」と涙ながらに告げたのでした。

私は酷なのを承知で「はい」とだけ返事しました。

暫しの沈黙の後、Jさんは「どうすれば償えるのですか?」と涙目のまま私に問いかけられたので、私は「それが償いになるとは言えないかもしれませんが」と前置きをしてから「どれだけ悔やんでも失った命はかえってきませんよね・・・たとえ、Jさんが罪を背負って生きていったとしても、それは同じです。仔猫ちゃんと一緒に暮らした期間は短いものだったかも知れませんが、仔猫ちゃんから教えられたことや、学んだことはあったでしょ?」とJさんに問いかけました。

Jさんは深く目をつむり、大粒の涙を流しながら頷きました。

「でしたら、罪を背負うのではなく、その想いを胸に生きていくことが仔猫ちゃんが生きた証になるのだし、それが本当の供養に繋がるのではないですか?」と私はJさんに尋ねるように語りかけました。

Jさんは黙ったまま視線を落として聞いておられたのですが、私は続けるように

「私は大金をかけて立派なお墓をたてたりするのが供養だとは思っていません。心一つで出来るのが供養だと思っています。お金をかけたことで罪悪感から解放されたと感じたなら、それは錯覚です。かと言って、事故を思い出したくも無い出来事として記憶から消し去るのも解決にはなりませんよね。だから私はJさんには仔猫ちゃんのことを忘れないでいてほしいのです。その上で前向きに生きていってもらいたいと思っています」と伝えました。

Jさんは顔をあげ「P(仔猫ちゃんのイニシャル)のことを忘れないでいることが供養になるってことですか?」と私の目を見て問いかけられたので「簡単に言えばそうです。事故のことは不注意であっただけで、故意でやったわけでない以上、必要以上に自分を責めても何も解決しません」とこたえました。

Jさんは私の目を真っ直ぐに見ながらゆっくり頷いておられました。

その後、1時間ほど二人でお話をし、Jさんが帰られる時間になりました。

帰り際、Jさんは「また、ここに来ていいですか?」と訊ねられたので私は笑顔で「いつでもいらしてください」と返事をしました。

車の運転席から頭を下げれたJさんの顔に笑顔はありませんでしたが、涙も消えていました。

Jさんが前向きになれるのは、もう少し時間が必要だと思いますが、そんなに遠くはないと私は感じています。

 

想い出は背負うことでも記憶できますが、胸に刻むことでも出来るのです。

同じなら前向きのほうが良いと私は思っています。

変わらないもの

新しい年を迎えても変わらないものもありますし、変える必要がないものもあります。

プレシャスコーポレーションは創業以来、続けてきた、どんなに小さなペットであっても目視による手動の個別火葬は弊社のスタンダードであり、飼い主さんと同じ立場でお見送りをするという基本理念は年が明けても、業績が倍増しても変わらず続けていく心構えであります。

立会いされた飼い主さんと一緒にペットを見送るのは辛い時間でありますが、飼い主さんが飼い主として、最後の責任を果す大切な時間でもあるので、今年も心を込めてお別れのお手伝いをさせてもらいたく思っております。

 

 

平成二十五年 元旦

プレシャスコーポレーション スタッフ一同

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