2012

今年旅立ったすべてのペットちゃんへ

今年もたくさんのペットちゃんが神様のもとへ旅立ちました

弊社プレシャスコーポレーションでも、犬ちゃんや猫ちゃんをはじめ、いろいろなペットの旅立ちのお見送りのお手伝いをさせていただきました

病気・事故・老衰。旅立った理由は様々でありましたが、理由に関係なく、それぞれ、心をこめてお見送りのお手伝いをさせてもらいました

 

みんな無事に神様のところへ辿りつけましたか?

先立ったママやパパや兄弟がいる子は家族にあえましたか?

 

みんな、神様から許された時間を無駄にすることなく精一杯生きたのだからきっと天国にいけたことでしょう

 

そんな、みんなの心残りは遺してきた飼い主さんのことではないですか?

みんなのことを偲んで悲しみに暮れる飼い主さんの姿をみていちばんつらいのは天国にいったみんなかもしれませんね

 

でも、心配はいりません

みんなと一緒に暮らした飼い主さんは、いつか少しずつ前向きに歩いていきます

なぜなら、みんなが残してくれた素敵な数々の想い出があるから

だからみんなも、そんな飼い主さんを天国から応援してあげてください

そして、自分のペースでいいから、一日でも早く自分を取り戻せるように祈ってあげてください

 

そして、いつまでも見守っていることを伝えてあげてください

悲しき嘘と聖夜の物語

クリスマスイブの朝、四条畷市のKさんから愛犬のチワワのマークちゃんの急死を報せる電話がありました。

お電話を下さったのはKさん宅の奥さんで、マークちゃんは、その日の前日の夜中に痙攣を起こした後、意識を失い、そのまま帰らね犬となったそうです。

マークちゃんはKさん家の小学1年生の息子さんのペットでありました。

息子さんは三連休を利用して、ご主人さんと二人でスキーに出かけていたこともあり、マークちゃんの訃報を知らないまま、この日の昼過ぎに帰ってくる予定になっていました。

奥さんは悲報をご主人には電話で報せたのですが、息子さんにはどう伝えるか悩んだあげく、ご主人と相談して、とりあえず葬儀会社に電話だけすることになり、弊社に電話を下さったようでした。

私は電話越しに「つまり、息子さんはまだ、ワンちゃんが亡くなった事実を知らないということなんですか?」と奥さんに確認をしたところ、奥さんは「はい・・・」と不安そうに返事をされました。

奥さんは「やっぱり、正直に話すしかないですかね?」と私に縋るような口調で訊ねられたので、私は「すごく残酷なことだと思いますが、隠し通せることでもないですし・・・」と私もその後の言葉に詰まりました。

暫しの沈黙の後、奥さんは「主人が言うには、『今日はクリスマスやし、夜のパーティーも楽しみにしてるから、マークは体調崩して病院に入院させたことにして、葬儀屋さんにあずかってもらおう。息子には時期を見て自分が話す』と言ってるんです・・・」と仰いました。

私は「仰ってることはわかります。しかし、時期というのは、どれくらいの期間なんですか?」と訊ねました。

奥さんは「とりあえず2日間ほど・・・25日もご近所さんとのクリスマスパーティーがあるので、26日にはお葬儀をしてあげようと考えています」と涙声でお伝えくださったのでした。

「わかりました。2日間なら別費用もかからず当社で安置できます。ではいますぐそちらに向かいます」とこたえ、マークちゃんをおあずかりするべく、Kさん宅に向かいました。

Kさん宅に到着した私は奥さんと挨拶を交わし安置用の棺にマークちゃんを移して車に乗せました。

奥さんは外まで見送ってくださり「バタバタさせてすいません。息子に話したらこちらから電話します」と深く頭を下げておられました。

私はその足で会館に向かったのですが、これから息子さんに悲しい事実を伝えなければならないご両親のことを考えると、やりきれない気持ちになりました。

 

私は会館の安置室にマークちゃんを運んだ後、アトリエに向かいました。

この日はイブということもあり、会館アトリエにはメモリアルグッズ作製のため、来館されている人がいらしたので、私は挨拶をかねて顔をだしました。

メモリアルグッズを作製されていたのは、たまたま私がセレモニーを担当したペットちゃんの飼い主さん家族ということもあり、ご家族が作製し終えるまで、その日、私はアトリエで一緒に過ごしました。

 

Kさんの奥さんからお電話があったのは、その2日後の26日の朝でありました。

電話で私は「あの・・・息子さんにはなんと?」と聞きづらいことを訊ね、奥さんは「息子には今朝、主人が・・・病院で息を引き取ったと伝えました・・・」と小声で話されました。

お葬儀はその日の14時に執り行うことになり、私は安置されていたマークちゃんと一緒にKさん宅に向かったのです。

Kさん宅に到着し、インターホーンを鳴らすと玄関の扉を勢いよく開けて出てきたのは息子さんでした。

息子さんの目は赤く腫れており、息子さんに続いて奥さんとご主人さんが沈まれた表情で出てこられ私に頭を下げて迎えてくださいました。

息子さんは私が両手に抱いたマークちゃんが納められた棺を背伸びするようにして見おろしながら「見せて!マークここに入ってるの?見せて!」と強い口調で言いました。

私は息子さんに引っ張られるようにして玄関に入り、玄関先にマークちゃんの棺を置きました。

私の判断で棺にはマークちゃんの体が埋もれるくらい花を散りばめていたのですが、棺の中を見た息子さんはマークちゃんの顔を見て声をあげて泣かれました。

息子さんの後ろでその光景を見守っていたご両親も目に涙をためていたのですが、声は出さずに息子さんの背中を優しくさすっておられました。

大粒の涙を流した顔を上げ息子さんは私に「マークどうやって死んだの?痛がって死んだの?」と聞いてきたので、返答に困った私はご両親の方に目をやりました。

ご主人が首を横に振っていたので「ううん。眠るように、逝ったんだよ」と私はこたえました。

さらに、息子さんは「泣かなかったの?マークは泣かなかったの?」と問い詰めるように私の顔を見つめながら聞くので私は「うん。泣かなかったよ」と答えるのが精一杯でありました。

息子さんはその後も、納得できないと言わんばかりに

「痛くないのになんで死んだの?」

「血は出たの?」

「病気だったの?」

愛犬との突然の別れに混乱と戸惑いを隠せないまま私に質問を繰り返したのでした・・・

 

目の前にある現実を受け入れるには、息子さんはあまりにも幼く、それを理解しているが故、私もしだいに返答に困り、最後は黙ったまま立ち竦んでしまいました・・・

 

そんな私を見かねてか、ご主人さんが「マークは小さい頃から心臓が弱かったから、急に寒くなって心臓が止まったから死んじゃったんや・・・だからちゃんと神様のところへいけるように今からパパとママと一緒にお祈りしてあげよ」と後ろから息子さんを抱きしめました・・・

 

その後、マークちゃんをリビングに移し、私はご家族と一緒にKさん家の宗派に沿った形式でマークちゃんのお別れの儀を執り行いました。

 

無理もないのですが、息子さんはマークちゃんと離れることが出来ず、ご火葬が始まったのは夜に差し掛かる時間帯になってからのことでありました。

 

ご火葬とお骨あげは幼い息子さんに見せないほうが良いというご両親の判断で、私が一任させてもらうことになりました。

私はマークちゃんの遺骨の納められ骨壷を息子さんが眠りについた深夜、Kさん宅にお届けにあがりました。

玄関で応対してくださったのはご主人さんで「なんか嫌な役回りしてもらってすいませんでした」と深く頭を下げておられました。

私も「いえ。とんでもございません。何のお役ににも立てずに申し訳ありませんでした」と自分の無力さを御詫しKさん宅を後にしました。

 

ご両親がイブの夜についた嘘は息子さんが楽しみにしていたパーティーを心行くまで楽しませてあげたいという親心があってのことなので、正しい判断だったと私は思っています。

いつか、ご両親の口から真実が語られる日が来るかもしれませんが、いずれにせよ、息子さんがもう少し大きくなってからのことになるでありましょう。

仮に正直に息子さんに告げていたなら、おそらく悲しみに沈んだクリスマスになっていたのは言うまでもありません・・・

そうなればマークちゃんもきっと悲しかったとだろうと思うし、それを望まなかったように私は感じました。

そう感じたのは、リビングに飾ってあった息子さんとマークちゃんの2ショット写真を見たからであり、写真の中とマークちゃんは幸そうで、大の仲良しであったことが伝わったからかもしれません・・・

涙のお見送り。そして涙の旅立ち・・・

ペット葬儀の席でお見送りする飼い主さんが涙を流されることは珍しい話ではありません。

しかし、見送られる側のペットが涙を流すことは、現実的にありえない話であります。

 

 

私は17歳で永眠した堺市のNさんの愛猫チェリーちゃんのお葬儀のご依頼を請け、猫好きのスタッフF君※{スタッフF君の決断参照}と二人でNさん宅を尋ねました。

チェリーちゃんのお葬儀にはNさんご夫婦と既に結婚されている二人の娘さん。そして、そのお子さん達の三世代のご親族がご参列をされていました。

火葬車をNさん宅内の駐車場に停めさせてもらい、チェリーちゃんが安置されてる玄関に通された私とF君は死後一日経過しているとは思えない生気に満ちたチェリーちゃんを見て思わず溜息を漏らしました。

本当に眠ってるようにしか見えなかったからです。

もちろん、過去にも綺麗で安らかな顔をしたペットちゃんは数多く存在しましたが、チェリーちゃんは日向ぼっこをしているかのような穏やかな表情を浮かべており、気持ち良さそうに瞼を閉じているように見えたのです。

体も死後硬直を全く感じさせないような無理の無い姿勢のままで本当に心地良く横たわってるかのような姿でありました。

私はNさんに了解をもらってから、チェリーちゃんの体に触れさせてもらったのですが、体に触れてさらに驚きました。

チェリーちゃんの体は見た印象以上に柔軟で、硬直は無く、肉球も柔らかなままであり、毛布に包まれていたせいか温かさも残っていました。

今までに数え切れないほど、猫ちゃんを見送ってきた私が(本当に眠っているだけなんじゃないかな)と戸惑うくらい、逆の見方をすれば不自然な状態だったのです。

チェリーちゃんがこれほどに生気に満ちていた理由は、Nさん家族のチェリーちゃんに対する接し方を見てすぐに理解できました。

家族の皆様はチェリーちゃんが息を引き取ってからも、いつものように話しかけてあげていたようで、代わる代わる抱っこもしてあげていたようでありました。

さらにチェリーちゃんは生前、ほとんどの時間を玄関先に座って生活していたようで、訪ねてきたご近所さんや公共料金の配達の人達からも毎日のように撫でてもらっていたそうです。

そんな皆様もチェリーちゃんの訃報を聞いて駆けつけられ、別れを惜しむように優しく体を撫でながら語り掛けていたそうです。

以前、このブログ{亡くなったペットが飼い主さんと過ごす満たされた時間とは}でもお話させてもらったことがあるのですが、ペットちゃんが亡くなってからお葬儀までの期間を、生前と同じように飼い主さんが接して過ごしてあげたとき、そのペットちゃんはまるで命が宿っているかのように生前と変わらない状態を保てることがあるのです。

もちろん化学的根拠の無い話ではありますが、私は過去の経験から、そのことを、この目で見て、体感してきているので、そう確信しています。

逆にペットが亡くなってから亡くなったものとして過ごされた飼い主さんのペットは硬直が進むのも早く、早々と生気は失われてしまいます。

 

私が思うに、おそらく家族の皆様はチェリーちゃんが息を引き取ってからお葬儀までの間、チェリーちゃんがそのことに気付かないくらい温かな心で優しく接してあげてたのではないでしょうか・・・

 

祭壇は、チェリーちゃんのお気に入りの場所である玄関に設置することになり、私とF君は準備を整えました。

チェリーちゃんを祭壇に移すときに、ご家族の中でも1番チェリーちゃんと親しかった娘さんがチェリーちゃんの背後から優しく両脇を抱き上げるようにしてベッドから出されました。

 

その時でした

ちょうど私とF君は横に並ぶようにして真正面からその光景を見てたのですが、娘さんがチェリーちゃんを抱き上げたとき、チェリーちゃんの眼がパチっと開いたのです。

私は声をあげそうになるくらい驚いたのですが、隣にいたF君も信じられないというような顔で目が開いたチェリーちゃんの顔を見ていました。

F君は普段からあまり感情を表に出すタイプではなく、常に冷静でクールな男でありますが、このときは驚きを隠さず、私の耳元で「兄ちゃん・・・目が・・・」と耳打ちするように言いました。

F君は仕事を離れると私のことを親しみを込めて「兄ちゃん」と呼ぶのですが、このときは目の前で起きた出来事に立場を忘れ、とっさに、そう呼んでしまったのでありましょう。

私も「見えてる・・・というか、僕と思いっきり目が合ってる」と小声でF君に告げました。

F君は私にそう言われ、あらためてチェリーちゃんの方に目をやり「ほんまや・・・完璧に兄ちゃん見られてる」と少し表情を崩しながらそう言いました。

このような状況でありながら、私に怖いとか不気味とかという感情は一切なく、むしろチェリーちゃんが「あなた達が葬儀屋さん?よろしくおねがいします」と話かけてるように感じるくらい、その視線は穏やかなものであり、そう感じたのは隣のF君も同じようで、私達は顔を見合わせながら微笑を浮べました。

そんな私とF君の不自然な態度に気付いた娘さんが「どうかされたのですか?」と不思議そうに訊ねられたので「いや・・・なんといいますが、今、チュリーちゃんの眼が開いているんですよ」と正直に今起きてることをお伝えしたのです。

娘さんが背後からチェリーちゃんを抱き上げてたので、娘さんと、その後方にいらしたご家族の皆様の位置からはチェリーちゃんの顔は見えなかったこともあり、娘さんは自分の膝の上にチェリーちゃんを寝かすようにして、チェリーちゃんの顔が上を向くように抱き直されました。

チェリーちゃんの顔を見た娘さんは「本当や・・・チェリーあんた目開いてるやん」と驚くこともなく、普段と交わすような会話口調で仰いました。

後方の他のご家族の覗き込むようにしてチェリーちゃんの目を見て「ほんまや~チェリー生き返ったみたい」と感激するように話しかけていました。

この出来事でご家族の顔に少しの間、笑顔が戻ったのですが、お母さんが「こんな可愛い顔やのに、なんで息だけしてないの」と涙ながらに言ったとき、ご家族の皆さんも再び現実に引き戻されたかのように涙を流されていました・・・

チェリーちゃんを抱いておられた娘さんが私に「こんなこと(目が開く)ってよくあるんですか?」と訊ねられたので「いえ。抱いた拍子や寝かした拍子に片眼だけ瞼が薄っすら開くようなことはあっても、ここまで両目同時にパチっと開くようなことはありません」と正直に返答しました。

娘さんは「そうなんですか?じゃあこれは偶然ですか?」と不思議そうに仰られたので「目だけではなく、チェリーちゃんの体もほとんど硬直してないでしょ?おそらく家族の皆様がチェリーちゃんが息をひきとってからも生前と同じようにして接しあげたことによって変に筋肉も硬直することなくリラックスした状態のまま過ごせたからではないでしょうか」と自身の見解を伝えました。

私の意見を聞いて娘さんはあらためてチェリーちゃんの顔を見つめ、そして、優しくチェリーちゃんの頬を撫でながら「チェリー・・・」と名前を呼び静かに涙を流されていました・・・

娘さんは30秒ほど、肩を震わせて泣いておられましたが、自身を奮い立たせるようにサッと顔を上げ「いつまでもごめんねチェリー。そろそろお別れの時間やね。今までありがとうね」そう言って立ち上がると、指で優しくチェリーちゃんの瞼を閉ざし、祭壇に寝かせてあげました。

私とF君の位置からはチェリーちゃんの顔が見えたのですが、娘さんが瞼を閉ざす、その刹那、チェリーちゃんの瞳が微かに輝き、まるで涙を溜めているかのように潤んでいたのです。

 

呼吸をやめた全ての生き物の瞳は時の経過と共に輝きを失い白く濁っていくものです。

しかしチェリーちゃんの瞳は輝きと潤いに満ちていました。

 

光の加減でそのように写ったのかも知れませんが、私の目には家族との別れを惜しむチェリーちゃんの涙のように見えました。

 

その後、ご家族の見守る中、チェリーちゃんのお葬儀とご火葬は執り行われ、チェリーちゃんの遺骨は参列されたご家族さん全ての手によってお骨あげされました。

 

全てのセレモニーを無事に終えた私は帰りの車中で「祭壇に寝かされる前、チェリーちゃんの目を見た?」とF君に訊ねました。

運転席のF君はハンドルを握りながら「なんか涙目になってましたね」と静かに言いました。

「少し切なくて悲しい場面もあったけど、すごく優しいご家族だったし、良いセレモニーやったね」と私は感想を述べました。

元来、無口なF君は無言のまま頷いただけでしたが、その表情が同じ気持ちであることを物語っていました。

 

この日おきた出来事は非現実的でファンタジーのような話であると感じた人もいるかもしれません。

しかし、全て現実に目の前でおこったことであります。

 

信じられないと言う人もいると思いますが、少なくとも私とF君はこの日の奇跡を忘れることはないでしょう・・・

ペット火葬業界全体の評価と実態

大阪市のAさんの愛猫のコン太ちゃんのお葬儀とご火葬のご依頼があり、Aさん宅に向かって車を走らせていた私の携帯が鳴ったので、私は側道に車を停車させ、電話にでたところ、相手はAさんご家族のお父さんでありました。

お父さんは電話越しに「すいません。今日予約してるAですけど、あの申し訳ないんですが1時間ほど遅く来てもらえませんか?・・・」と仰られたのでした。

何か不都合でもあったのかと思い「はい。了解しました。では○○時にご訪問させてもらえばいいのですね?」と私は確認するように尋ねました。

お父さんは「あの・・・ハッキリした時間がわかればこっちから電話したいんですけど・・・最悪キャンセルするかもしれないんですけど、いいですか?あ、キャンセル料はかかります?」と申し訳なさそうに仰ったので「はい。ではお電話をお待ちしています。それに当社はキャンセル料金は一切かかりませんので、ご安心ください」と私は返答し、電話を切りました。

予定より早くAさん宅に向かっていたので、実はこの電話をしていたときには既にAさん宅の近くまで来ていたのですが、私は車をコンビニの駐車場に止め缶コーヒーを買ってAさんからの電話を待つことにしたのです。

ペット葬儀のキャンセルや日時変更は珍しいことではありませんが、直前の変更はよほどのことが無い限りありません。

時間変更の理由はご依頼者さんの仕事等の所用で、予定していた時間に家に戻れないという場合がほとんどでありますが、直前キャンセルとなると、後日実施する場合を除いて、どのような理由でキャンセルされたのか確認できないものであり、気になりながらもキャンセルに至った実情がわからないまま終えることになります。

私はコンビニの駐車場で缶コーヒーを飲みながら「何か不都合でもあったのかな・・・」と一人、気を揉みながら時間を過ごしました。

これは、後からAさん家族に聞いたのですが、ちょうど、その頃、Aさん宅では愛猫の葬儀を任す弊社プレシャスコーポレーションについて家族会議を行なっていたそうです。

その発端は会社から帰宅された長女さんの「お父さん。そのプレシャスって会社のこと信用できるの?仕事場でペットを飼ってる上司に教えてもらってんけど、ペット葬儀会社って悪い業者が多いんやで。ちゃんとその会社のこと調べたん?」という一言だったそうです。

長女さんから詰め寄られたお父さんは「調べるって・・・何を?どうやって?父ちゃんは病院から教えてもらったから電話しただけや・・・病院からの紹介やから間違いないやろ」と口篭りながら答えたそうです。

事実、当社にご依頼の電話を下さったのはお父さんで、お父さんはコン太くんがいつも通っていた動物病院の看護士さんから手渡された当社のパンフレットを見てお電話して下さったのでした。

長女さんは「そんなん信用になれへんよ。私が調べるから時間遅らせるようにその会社に電話して」と言い残し部屋に戻ってパソコンを使って当社のHPを開かれたそうです。

お父さんは言われたまま、私の携帯に電話をし、先ほどのヤリトリになったのです。

コンビニの駐車場に入って30分ほど経過した頃、再び私の携帯にAさんから電話がありました。

Aさんは「ああすいません・・・あおの一つ聞きたいんですけど、火葬するときって私ら家族も一緒におれるんですよね?」と小さな声で尋ねられました。

私は「はい。当社は立会い火葬を基本としておりますので、そのようにさせてもらっておりますが」と返答したところ「あの・・・つまり、コン太をどっかに連れていくってことはないんですよね?」とさらに問いかけられ「はい。Aさん宅は駐車スペースがあるとのことですので、そちらでご火葬させてもらうというお話でしたので、そのご予定であります」とこたえました。

Aさんは「ちょっと待ってください」と言った後、受話器を手で塞ぎながら、ご家族と何やらお話をされている様子でした。

少しして、「すいません電話変わりました。二~三確認していいですか?」と電話に出られたのは長女さんでありました。

「どうぞ」と返事をした私に長女さんは「家で火葬するってどうやってするんですか?」とハキハキした口調で質問をされたので、私は煙・炎・臭いを極力出さない特殊火葬車の説明を中心にお葬儀からお骨あげの流れを簡単に説明をしました。

長女さんは電話越しに頷くような感じで聞いておられたのですが「その火葬車ってイカツイ(ごつい)んですか?うちの駐車場って小さいですけど大丈夫なんですか?」と心配するように言われました。

私は「見た目は普通車のワンボックスですからイカツクはないです。本日は猫ちゃんとお聞きしておりますので、軽自動車タイプの火葬車で伺おうと思ったのですが、お父さんからワンボックスでも停めれるスペースがあるとお聞きしたので、ワンボックスの火葬車で伺う予定です」と伝えました。

長女さんは「ワンボックスでどうやって火葬するんです?」と納得のいかないようにお聞きになられたので「もしよかったら近くまで来てますのでそちらに伺いましょうか?そして現物を見てください。特に女性の方は電話で説明しただけではイメージしずらいものですから現物を見て、それから判断して下さっても構いませんよ」と提案しました。

長女さんは「ちょっと待ってください」とお父さんと同じように受話器を手で塞ぎながらご家族と相談された後「じゃあ・・・来てくれますか?」と先ほどのハキハキした口調とは別人のように小さな声で申し訳なさそうに仰いました。

そして、10分後、私はAさん宅をご訪問したのです。

Aさんご家族はご夫婦にOLの長女さんと学生の長男さんと次男さんの5人家族でありました。

私の到着後、ご家族全員が火葬車の周りに集まられたので、私はその場で挨拶をし、火葬車の説明をしました。

お父さんは「一見したら普通のワンボックスカーですね」と率直な感想を口にされたので、私は後方の扉を開けて火葬炉をご家族に見せながら「車の前部座席以外、全てこのように火葬部屋に改造してあります。もちろん合法で車検もありますし、保険も加入しています」と説明しました。

火葬車を見た長女さんは「これって人間の火葬炉と同じなんですか?」と質問されたので「仕組みは同じですが、サイズや火力はペット専用に設計されています」と私はこたえました。

長女さんは理解力に優れたお方のようで「つまり、葬儀した後、この車で火葬して私達も火葬を見守れるってことですか?」と尋ねられました。

「はい。私共の会社では家族立会いを基本理念としておりますので、火葬炉に納めるのも火葬炉に点火するのも、要望があればご家族様にしていただいております」と返事しました。

それを聞いた長女さんは「なら問題ないか・・・」と独り言のように仰り、お父さんが長女さんを含むご家族全員に「な!父ちゃんが言うた通りやろ?専門の火葬炉で立会いもできるってことや」と誇らしげに仰りました。

しかし長女さんが「そんな具体的な説明してなかったやん!お父さんはただ『病院の紹介やから・・・』と自信なさげにボソボソ言うとっただけやん!」とすかさず返しました。

指摘を受けたお父さんは「・・・そうやったっけ」と元気なく答え、ご家族はそのヤリトリをを見て一斉に笑っておられました。

なにはともあれ、一気に場が和み、私は「あの。それで、お葬儀のほうはどうされますか?」とご家族に確認をしました。

長女さんがご家族を代表するように「ああ。すいません。お願いしていいですか?」と承諾してくださったので「では、最初にお亡くなりになられたペットちゃんに手をあわさせてもらいたいんですけど」と私は申し出ました。

私はリビングで安置されていたコン太ちゃんに手をあわし、その後、祭壇を設置してコン太ちゃんのお葬儀を執り行いました。

ご家族のご焼香の儀が終わり、コン太ちゃんはご家族の手によって出棺され、そして火葬炉に納められ、点火のスイッチはご家族を代表してお父さんが入れられコン太ちゃんは駐車場の火葬車で天に召されたのでした。

 

直前の行き違いはありましたが、コン太ちゃんのセレモニーを無事に終え、私は安堵の気持ちになりましたが、少しだけ気持ちは沈んでいました。

それは、今回のAさん家族同様、ペット葬儀業界全体に不信感を持っておられる人がいらっしゃるという現実に対してであります。

 

今年に入っても同業者による不祥事は後を絶たず、世間が忘れた頃に亡くなったペットを引取り自社では火葬せず、別の遺骨を差し替えして飼い主さんに渡すというような事件を起こしています。

私はこのブログを読んでおられるペットの飼い主さんに伝えたいのは、ペットの葬儀を依頼するとき、立会いが可能で、個別でご火葬をしてくれる会社を選んでもらいたいということで、それは弊社に依頼してほしいという意味合いではなく、弊社以外でも良心的な業者は在りますので、必ず、そのことを確認してからご依頼してもらいたいという意味であります。

 

Aさん家族はコン太ちゃんの遺骨を家族全員で拾骨され、49日後、自宅の庭に埋葬されるとお決めになられました。

私の帰り際、訪問したときとは違う、親近感を持った表情で見送って下さったのですが、私はやはり先ほどの業界不審の実態が頭をよぎり、冴えない表情のまま車を会社にむけて走らせたのでした・・・

旅立つペットが繋いでくれたもの

当然と言えば当然なことですが、ペット葬儀の席で、ほぼ、全ての飼い主さんは「本当にこの子に出会えて、一緒に暮らせて幸でした」と口を揃えたように仰ります。

ところが、飼い主さんがペットの目線で考えたときは「この子は自分と暮らして幸だったんだろうか?」と疑心難儀になられるものです。

私、個人の統計では「ペットも私と暮らせて幸だったに違いない」と言い切る人の方が少ないように感じるのですが、それは、前日のブログともリンクすることで、ペットを喪ったとき、良い想い出よりも「もっと~してあげればよかった」「こんなことになるならあのとき~しとけばよかった」等、ペットに対する後悔の念がそう思わせる原因なのではないでしょうか。

ペットを喪った直後、思い出せるのはペットの楽しそうな姿ではなく、叱られて元気の無い顔や、病状で苦しそうなペットの姿ばかり思い浮かぶものであり「あんなに怒らなきゃよかった」「もっと優しくしてあげればよかった」と必要以上に自分を責めておられるのかもしれません・・・

今年もたくさんの飼い主さんが最愛のペットを見送られました。

一見無愛想な少年。控えめな女の子。賑やかな大家族。気配りしてくださったご高齢の女性。数えればきりがありません

しかし、私がペット葬儀を通じて知り得た飼い主さん達は、どの人も素晴らしい方達で、本当に心優しい人達ばかりでありました。

だから私は自分が担当したセレモニーの席上で、そんな飼い主さん達に「この子もあなたに出会えて、そして一緒に暮らせて幸だったと思います」とお世辞や決まり文句ではなく、本心から、そう口にすることが多かったのかもしれません。

 

今年も気がつけば残り僅かになり、振り返ればたくさんの命のお見送りのお手伝いをしてまいりました。

私は自分が担当したペットちゃんのことは全て覚えており、同じように飼い主さん達のことも心に残っております。

昨日まで他人同士だった人間が、セレモニーという限られた時間を過ごした後、同じ価値観を共有できるよう存在になり得るのは旅立つペットが最後に繋いでくれたご縁だからかもしれません。

懺悔(ざんげ)の告白

私達、ペットセレモニー会社の人間はペット葬儀をご依頼する飼い主さん達から見た場合、ペットと人間の中立に位置する、またはペット寄りの立場の人間であると思われることがよくあります。

それは、「ペットを人間同様に丁重に弔う志事をしている人間」という見解からくるものだと私は理解しているのですが、過去に当ブログでも何度も書いたように、私は動物も好きですが、それ以上に動物に愛情を持って接する人が好きだから、この仕事を始めたのです。

しかし、セレモニーという、ある意味、特殊で限られた時間内に、そのことが飼い主さん達に伝わるのには限界があり、ましてや、最愛のペットを亡くした直後である人に、それらのことをご理解してもらいたいと思うこと自体、自分本位で間違いであると私は認識しているので、必要以上に自分の思想や立場を説明するようなことはしません。

 

そのような事情からか、時に飼い主さん達は自分のペットの葬儀の席上で、私達、葬儀会社の人間に、ペットにしてしまった自身の過ちを告白されることがあるのです。

それは、まるで、私達ペット葬儀に携わる人間を教会の神父様に置き換えて懺悔されるようであり、ほとんどの飼い主さんは飼い主としての自分の不甲斐なさや未熟さが原因で引き起こした過去の過ちを私達に告白し、亡きペットに懺悔されるのであります。

 

懺悔の告白は様々で

「家に帰ったらペットが部屋をグチャグチャに散らかしていたので叩いてしまったことがあるんです」

「雨の日や寒い日の散歩が億劫で、『早く(オシッコ)してよ』とペットのお尻を足で突いてしまった・・・」

「市販のフードを食べないから3日間ご飯を与えなかった」

「旅行のとき、一人で留守番させてました・・・」

「じゃれて噛んできたのでとっさに投げ飛ばしてしまった・・・」

「私がゲージを閉め忘れて階段から落ちたんです」

 

これらは実際に私がお葬儀の時に飼い主さん達から告白された実例です。

過ちや罪と表現するには、あまりにも酷なこともあり、ペットを飼っている人間なら同じようなことをしたと感じた人もいるのではないでしょうか?

 

当然ですが、私は神父様ではないし、仏道の修行をつんだ人間でもありません。

飼い主さんと同じ、ペット喪った経験のある人間であり、その人間が葬儀会社をしている。

ただそれだけであります。

 

ですので、そのような告白をうけたとき、私は迷わず「私も同じようなことをしたことがあります」と正直に告白します。

そして、過去のセレモニーを通じ、飼い主さんと同じことをし、後悔されている人が大勢いたことも話します。

だからといって、皆も同じことをしているから問題ないと言いたいのではありません。

 

私達人間は地球上の生物の中で圧倒的な知能を持っているのにも関わらず、それ故に時に感情を制御できず、時に感情に流され、同じ失敗を繰り返す未熟な存在です。

 

罪を悔いたところで、過ちや失敗が消えることはなく、また、過去も戻ってきません。

 

私は飼い主さんから懺悔の告白をされたとき、先にも述べたように自身の告白をするのは、皆、同じことをしているから、と飼い主さんを慰めているのではなくて、同じ経験をした人間として、後悔するだけではなく、その事を教訓として今後に生かしてもらいたいという思いを伝えたいからなのです。

複数のペットを飼っておられる方や、また、すぐにでもペットを飼おうと思ってる人はそれらの教訓を生かせればいいと思います。

逆にペットを喪ったことで、二度とペットを飼わないと決めた人もいるでしょう。

しかし、特に若い飼い主さんは、今後、結婚をし、子供を授かり親となる日が来るかもしれません。

人間の子供とペットを同列に考えるのは間違いかもしれませんが、保護者の目線という意味では共通することも沢山あります。

それは何も子供に限ったことではなく、ペットが残してくれた教訓は自分を取り巻く全ての事へ当てはめて考えることが出来るものであり、その教訓を生かすも殺すもその人しだいなのではないでしょうか?

私はペットが残してくれた想い出と、それから学んだ教えを胸に生きて行くことはペットが自分と共に生きた証となると思っており、その教訓を生かすことは、何より先立ったペットへの恩返しに繋がるのだと信じています。



 

泣きたいときは・・・

腎不全を患い12歳で永眠したミニチュアダックスフンドのリリーちゃんのお葬儀とご火葬のご依頼を請け、私は八尾市のHさんの自宅を訪問しました。

Hさんご家族の構成はお母さんと中学生の長男さん。それに小学生の長女さんと次女さんからなる四人家族でありました。

私がご訪問してリリーちゃんが安置されてるリビングに通されたとき、長男さんを除いたご家族はバスタオルに体を包んだ状態のリリーちゃんを抱きしめ、声をあげて泣いておられました。

長男さんは、一人、家族の輪から離れ、二階へとつながる階段の下から三段目に腰掛ながら悲しみに暮れる家族の姿を遠目に見ておられました。

同じ家族であってもペットに対する思い入れの温度差があることは珍しいことではありませんが、長男さんの目に涙はなく、ただ静かにその時を過ごしているという印象でありました。

長男さんは思春期ということもあってか、あまり人を寄せ付けないような雰囲気があり、挨拶をした私と目が合うと、無言で小さく頭を下げてくれたのですが、すぐに視線を外されました。

そんな長男さんとは対照的にお母さんと二人の娘さん達は、大粒の涙を流しながらリリーちゃんとの死を悼み、順番にリリーちゃんを抱きしめ別れを惜しんでおられました。

出棺の時間になり、リリーちゃんの体を長男さんを除くご家族がを輪になって支えるようにして、自宅前に停めさせてもらった火葬車まで運ばれていました。

そして私の手によって火葬炉の扉が閉ざされたとき、ご家族の悲しみはピークに達し、声を出して泣いておられました・・・

火葬炉の点火スイッチはご家族を代表してお母さんがお入れになられ、二人の娘さんたちは小さな手を合掌させてお見送りをされていました。

長男さんは、このときも一人だけ少し離れた場所で見守っておられたのですが、火葬炉が点火したとき、視線を下に落とし静かに合掌をされていました。

この日はこの冬一番の寒さであったので、私はお母さんに「火葬時間は30分~40分ほどかかります。今日はお寒いので、もしよろしければ、ご自宅で待機なさっていてください」と声をかけました。

お母さんは承諾し「わかりました。よろしくお願いします」と私に告げお子さん達にも、そのことを伝え、自宅に戻られました。

二人の娘さんたちはお母さんと一緒に戻られたのですが、長男さんはお母さんと二言三言交わした後「俺はここで待っとく」と仰り、お立合いされることになりました。

火葬車から少し離れた後方で立ちながら火葬を見守る長男さんは自宅に居たときと同じスエットの上下という服装で、見るからに寒そうでありました。

私は車にかけてあった自分のベンチコートをとり、長男さんに「これよかったら使ってください」と差し出したのですが、長男さんは少しためらいながらも、私と視線を合わすことなく「ああ・・・いいっス」と素っ気無く言われました。

遠慮しているのかと思い、私は「これ見た目はガードマンのオジサンっぽいけど、中身はボアなんで温かいよ」とジョークを込めて、さらに薦めたのですが、長男さんは「・・いいです」とうつむき加減で首を横に振ってお断りされたのでした。

「そうですか・・・わかりました」と私はコートを引っ込め車に戻ろうとしたとき「あ・・」と長男さんが何かを言われようとしたので振り返ってみると「あ・・・やっぱり・・・かしてください」とハミカムような口調で言いました。

私は「でしょ?その格好じゃ風邪ひいちゃいますよ」と笑顔でコートを渡し、受け取った長男さんは少し照れ笑いを浮かべながらコートを羽織り「どうも・・・」と頭を下げました。

照れたように笑った長男さんの笑顔は、まだ、あどけなさが残り、先ほどまで私が受けた印象とは違う、純粋な少年の顔を見せたのです。

このやりとりで、少しだけ距離感が近くなったのか、長男さんはリリーちゃんの思い出話を私に聞かせてくれたのですが、リリーちゃんは人懐っこく、愛らしい犬でありながら時々ヤンチャな一面を見せる憎めない犬ちゃんで、家族にはなくてはならないムードメーカー的な存在であったそうです。

そのお話を聞いて私は「確かに犬って家族の調和を良くしてくれるムードーメーカーのような役割もありますよね。それにお母さんや妹さん達の悲しみ様をみてリリーちゃんが皆から愛されていたのは、すごく伝わりました」と率直に受けた感想を述べました。

私と長男さんは火葬車に向かって横並びでお話をしていたのですが、リリーちゃんの話題になってから途切れることがなかった会話が私がその返答したとき、急に長男さんは、うつむかれ、そのまま黙り込まれたのです。

何か失言でもしたのかと思い、私は体を長男さんのほうに向けて「どうかされたのですか?」と尋ねたのですが、長男さんは無言のまま口を真一文字に結び、深く目を閉ざしたまま肩を震わせました。

先ほどまでは、時折、笑みを浮かべてお話をしていた長男さんでありましたが、ここにきて一気に悲しみが込み上げてきたのか、「すいません」と吐き出すように言うと肩を揺らしながら涙を流されたのでありました・・・

私はそんな長男さんの背中を摩るようにしながら「あやまらんでいいよ。堪えることない。悲しいときはおもいっきり泣くほうがいいねんから」と自分の立場を忘れて年上口調で言いました。

私は時折、ペット葬儀の席上で、葬儀屋である自分の立場を忘れ、入り込んでしまい、ペットを喪った若い人達に、目上の肉親のような口調で話してしまう悪い癖があります。

このときも長男さんの急激な心の変化に我を忘れ、ついついそのような口調になってしまいました。

長男さんは葬儀の席では意識的に家族から離れ、感情を表に出さずにしているように見受けられたのですが、それはは、おそらく、父親のいない一家の長男であるという自覚と、まだ幼い妹さんたちに自分の悲しむ姿を見せたくないという気持ちが重なってのことだったのかもしれません。

私と二人になったことで、緊張の糸が切れたのか、長男さんは嗚咽をあげて泣かれ、その場にうずくまりました。

私はただ黙ったまま長男さんの背中を摩り続けることしか出来ず、同じようにその場で姿勢を低くしました。

想像以上に長男さんの悲しみは深く、長男さんの嗚咽は自宅で待機していたご家族にも届いたようで、下の妹さんがお母さんから見てくるように言われたのか玄関のドアを少しだけあけてこちらの様子を伺っていました。

妹さんは事態を確認して、すぐにドアを閉め、駆け足でリビングに戻っていきました。

妹さんから報告を受けたのか、お母さんが不安気な表情で玄関から出てこられたのですが、私は目と手でお母さんを制し(大丈夫です)と表情だけで伝えました。

お母さんは理解をしたように歩みを止め、そして私に深く頭を下げて、長男さんに悟られることなく自宅に戻られました。

その後、長男さんは少しずつ落ち着きを取り戻され、火葬が終わる頃には、泣いてすっきりしたのか晴々とした顔をされていました。

リリーちゃんのお骨は家族全員の手によって拾骨され、自宅のリビングで保管されることになりました。

帰り際、お母さんの「何から何まで本当にありがとうございました」という心の篭った言葉にいろいろなことが集約されておるように感じた私は無言で深く頭を下げました。

そして長男さんも帰りは家族と一緒に私を見送ってくれました。

私は車の運転席から頭を下げ、Hさん宅を後にしたのですが、バックミラー越しに一家の姿を確認したところ、長男さんが大声をあげながら追いかけてくるのが見えたのです。

何事かと車を止めて、窓を開けて顔を出したら長男さんが「野村さーーーーーーん!コートォォォーーーー」と私がかしたコートを片手に叫んでおられました。

「ああ!すいません」と詫びながら車から降り、コートを受け取った私の姿に長男さんをはじめHさん一家は声を出して笑っておられました。

せっかくいいエンディングが私のウッカリで台無しになってしまったのですが、涙に包まれた一日が家族全員の笑顔で終われたことに、私は少しだけ嬉いい気持ちになりました。

障害をもったペットだからこそ

以前に当ブログでも同じようなことを書かせてもらったのですが、ほとんどの人がそのペットと一緒に暮らすことを決めた理由が「可愛かったから」「一目見てこの子と感じた」等、そのペットの持つ魅力に惹かれて決断されることが多いのですが、稀に、それらとは異なる感情に突き動かされて、そのペットを選ばれる人がいます。

それは、ある理由から引取り手のつかないようなペットちゃん達を、あえて選ばれる人です。

引取り手のつかない理由は様々でありますが、よく耳にするのは生まれつき病気がちだったり、障害があるペット。あるいは顔や体に傷があったり、どうしても人に懐かない等の理由が原因であることが多いようです。

過去にも当ブログで、そのような理由で、あえて引取り手のなかったペットを選ばれ、そしてちゃんと育てあげられた飼い主さんのお話を紹介させてもらいました。※{神様からのプレゼント}{片腕のハムスターのトン子ちゃんのお話}参照

そして今回ご紹介させてもらうのは寝屋川市のSさんという20代の主婦の方で、Sさんも、それらの人と同じように何らかの問題を抱えたペットを引き取り、時には自らの手で看護し、愛情をそそぎながらたくさんのペットと現在も暮らしておられます。

 

Sさんが、最初に、そのウサギと出逢ったのはペットショップでありました。

垂れ耳がトレードマークのロップイヤーという種類のそのウサギは他のウサギとは隔離されるように別のアクリルケースに一羽でポツンと置かれており、見た感じも明らかに他のウサギとは違いました。

ウサギの命ともいえる後足が力なく広がり、動きもたどたどしい感じを受けたのです。

Sさんはショップの店員さんに声をかけ、そのウサギのことを尋ねました。

店員さんの話によると、そのウサギは先天性開帳肢という病気を患っており、簡単にいうと、後足が正常な状態を保てず外側に広がっていく病気であり、現在、治療法もなく、当然ながら買い手がつくどころか、販売することも出来ないので、別のケースに入れられているとのことでありました。

ウサギというのは野生の世界では常に天敵に狙われているものであり、後足はいつでも飛跳ねて逃げれるように人間で例えると膝を折り曲げた体勢で生活をします。

野生のウサギでもこの病気にかかったまま産まれてくることはあり、健康な子に比べても病弱なため、生後間もなく死に至ることが多く、運良く生きながらえても、跳べないということは、逃げ足がないことであり、弱肉強食の世界では死に直結することを意味します。

結果、この病気のウサギのほとんどは、寿命を全うすることなく短命のままこの世を去るのです。

では天敵と遭遇することのないペットの世界ではどうでしょうか?

 

我々人間界の都合は、ある意味、野生より残酷で、売物にならないペットの行く末は処分対象になることが多いのです・・・

 

もちろん、そのことはペットショップの人も理解しているので、そうなる前にネット等を利用して、広く里親さんを募ったり、安値で販売するなどして、飼い主さんになってくれる人を探されるのです。

店によっては、スタッフが引取って飼い主さんになるケースも少なくありませんが、病気を患ったペットは必要以上に手がかかるものであり、自ずと専門知識も必要になってきます。

病院の診察料等の費用もかさむのは言うまでもなく、そのような理由から可哀想だとわかっていても、なかなか安易に決断できないのはやむを得ない事かもしれません。

 

しかし、Sさんは即決でそのウサギを家に連れて帰ることを決めました。

Sさんは、すでにウサギを飼ってることもあり、店員さんも安心して任せられたと思います。

Sさん宅にはウサギの他にも犬や小動物がたくさん暮らしており、その日から先天性開肢を患ったウサギちゃんもロックと名付けられファミリーに加わりました。

病院の定期健診とマッサージが必要ではありましたがSさんはロックちゃんを大切に育てました。

ショップ店員からも動物病院の医師からも「あまり長生きはできない」と言われておりましたが、Sさんは持てる限りの愛情をロックちゃんにそそぎ、優しく成長を見守りました。

ロックちゃんも、そんな愛情にこたえるように不自由な後足をかばうように前足だけで体重を支えて移動することを覚え、すくすくと成長し、医師から余命宣告されていた期間も乗越え、ロックちゃんがSさんと暮らして2年が過ぎたときでした。

長年体重を支えていたロックちゃんの前足が、とうとう限界に達し、寝たきりの生活を余儀なくされたのです。

うさぎの前足は後足に比べ小さく、筋肉もほとんどありません。

しかし、後足が不自由なロックちゃんにとって前足だけが頼りで、酷使だとわかっていも前足を使うのは生きていくためには必然的なことでありました。

動けなくなったロックちゃんではありましたが、Sさんは回復することを信じ口元まで食料を運び、付きっきりで看護を続けました。

しかし、ロックちゃんの食欲は日に日におちていき、寝たきりになった一週間後、Sさんが見守る中、ロックちゃんは静かに息を引き取ったのです・・・

 

ロックちゃんのお葬儀は弊社プレシャスコーポレーションが執り行うことになり、その席でロックちゃんの出会いから永眠するまでの話をSさんから聞かせてもらいました。

祭壇が設置された居間のすぐ隣の部屋はロックちゃん達のウサギちゃんの部屋になっており、入口の一番手前に主を失ったロックちゃんのベッドがありました。

おそらく、何か異変があってもすぐに気付けるようにSさんが、その場所にされたのでしょう。

 

ロックちゃんの生涯は二年という決して長いものではありませんでしたが、障害を背負いながらもそれを物ともせず、逞しく天命を全うしたと言えるでしょう。

そして、それを支えたSさんもロックちゃんの飼い主というより、親として立派に役割を果されたと私は感じました。

ロックちゃんのご火葬が終わったとき、私はSさんに「私にはとうていSさんの真似はできません」と本心を伝え、お悔みの言葉と一緒に労いのお言葉をかけました。

Sさんは、涙を指で拭いながら「ロックが私と暮らしたことで、少しでも幸を感じてくれたならいいんだけど・・・」と、自分に問いかけるような口調で仰っておられました。

どんなに大切に育てたペットだとしても、飼い主さんはペットを喪ったとき「もっと~してあげればよかった」と後悔と自責の念に苛まれるものであります。

それはSさんとて同じで、私から見れば理想の飼い主さん像である人なのに、Sさんはロックちゃんの旅立ちに際し自身のことを悔いておられました。

 

ロックちゃん同様に何らかの病気や障害をもったペット達のお葬儀を私は過去に何度も担当して参りました。

偶然なのかも知れませんが、お葬儀のときに見た、そんなペット達の顔は、どの子達も安らかなものであり、心から飼い主さんに感謝して眠りについた表情でありました。

 

そして、もちろん垂れ耳の下のロックちゃんの顔も安らかであり、感謝の心に満ち溢れていたのは言うまでもありません・・・

死んだペットと交信できる人?

師走になってすぐの頃、京都にお住まいのとある女性から本社の私あてに電話がありました。

その女性は自己紹介をした後「いつもプレシャスさんのブログを拝見させてもらっています。それで、もし良ければそちらの納骨堂で頻繁におこっている不思議な現象の霊視をさせてもらえませんか?もちろん費用は必要ありません」と申し出られたのです。

弊社プレシャスコーポレーションの直営会館の納骨堂でおこる不思議な現象については、過去にこのブログでも何度もお話させてもらっているので、ここでは省略させてもらいますが、そのことで、私やスタッフ達が仕事や私生活で支障をきたしたことはなく、むしろ、ファンタジー的な出来事として、プラスに考えているので、ブログでもそのように伝えてまいりました。

ぶしつけに、「私は亡くなったペットと交信できるのです。不思議な現象はそんなペット達が何らかのメッセージを発している可能性があるので霊視をさせてほしい」と言われても我々は遺族である飼い主さん達からペットの遺骨をお預かりしている立場でしかないので、無断で許可できるものではありません。

ましてや、面識があり、私が責任を持てるくらい信用が出来る人であるならまだしも、いきなり電話でそのようなことを言われても、困惑するしかないのが率直な感想でありました。

そのようなことから、一応、連絡先をお聞きし、丁重にお断りをさせてもらったのです。

 

そのことをスタッフに話したところ「無料なんだし試しに頼んでみても良かったじゃないですか」と好奇心を駆り立てられたのか、そう口にする人間もいました。

そんなスタッフに私は「お金の問題じゃない。そういうのってあくまでも根拠を実証できない以上、安易にお受けするもんじゃない。ましてや飼い主さん達に『ペットがありがとうって言ってます』と良いことを伝えたとしても、戸惑う人だっているかもしれないし、その責任は誰ももてないやろ?」と諭すように話しました。

「責任はその霊能者の人に持ってもらったらいいんじゃないんですか?」と納得のいかないスタッフはさらに私にそう食い下がりました。

私は「それが安易やねん。我々が、飼い主さんにその人を紹介したら、同時に紹介した我々に責任が発生するねん。遺族の人たちは少なくともプレシャスを信用してるからこそ遺骨を預けてくださってるんやし、そういう立場である以上、何か問題があった場合、霊能者の人じゃなく、プレシャスの信用問題になるんやで」と釘を刺すように言いました。

言われたスタッフも「まあ・・・確かにそうですね。すいませんでした」と素直に軽はずみな言葉をあらためました。

私は「我々はいちペット葬儀会社であって、それ以上でもそれ以下でもないねん。その霊能者の人も良かれと思って言ってくださったと思うけど、葬儀会社が、その手のことの仲介するのはおかしい話や。もちろん、この手の話が好きな飼い主さんもいるとは思うよ。でも、そういう飼い主さんは知り合いの口伝とかネットを使って自分で探しはると思うし、そのことまで葬儀会社が首を突っ込むのは間違いってこと」と自分の考えを伝えました。

 

誤解のないように言いますが、私は、この手の話を全否定してるわけではありません。

ペット葬儀という仕事を通じても、常識では説明のつかない不思議な体験も数多く経験してきたことも事実ですし、現に納骨堂で実際に今も起きている「劣化しないモカちゃんの食パン」もその一つであります。

ただ、私の周りにも不思議な能力を持った人はいますが、そういう人は本当に普通の人で、普段は主婦やサラリーマンをしていて、自分からその能力を売り込むようなことはされません。

そして、そういう人達は、ほとんどボランティアに近い活動をされていて、信用できる人からの依頼があったときだけ、その力を人助けのためにお使いになられています。

もちろん、京都のその女性も、そのような一人であったかも知れませんが、先に述べた仕事の立場の責任上、判断ができかねないのでお断りしたのであります。

 

一度は食い下がったスタッフも私の説明に納得をしたように口をつむりました。

しかし、思い出したように「あ!そうや!そういえば支配人の猫ちゃんの遺骨も会館にありましたよね?一般の飼い主さんだったら野村さんが言ったようなトラブルになるからダメやけど、支配人なら問題ないんじゃないですか?」と笑顔で提案しました。

それまで、黙って私とスタッフのヤリトリを聞いていた支配人はいきなりのその提案に不意を突かれたようで「はあ?なんで俺なん?ずぅえったぃい(絶対w)嫌や!僕はMさん(私の肉親の風水師)に言われたことだけ信じてやっていくと決めたから、そういうのはいらん!」と目を見開きながら声を唸らせるようにして言ったのでした。

 

なお、その京都の女性の方とはお会いすることはありませんでしたが、その方自身もペットを飼われているとのことなので、もしかしたら、いつの日か、違う形でお会いする機会があるかもしれません。

もし、私が対面することがあれば、そのときにはいろいろなお話をしてみたいと思っております。




ペニーオークション詐欺事件と同様の手口の売込依頼

タレントさんが加担した悪質なペニーオークション詐欺事件が世間を騒がせております。

この事件は知名度の高い芸能人が自身のブログでネットオークションで低価格で落札したかのようなことを書き、そのサイトを宣伝していたというもので、実際は落札はおろか入札もせず、サイトの宣伝を目的とし、その見返りに現金や商品を受け取っていたという事件です。

入札するだけでも費用が発生するペニーオークションの制度自体が不透明なので、私は一度も利用したことはないのですが、有名なタレントさんのブログが虚偽であることも知らない読者が、これはお得だとばかり、ブログに掲載されていたオークションに参加して入札手数料を騙し取られる結果となったのです。

虚偽のブログを掲載したタレントさんは「軽はずみだった」とか「友人つてだったので」と言い訳してますが、ようは、被害者が出ることを承知で小遣いほしさに事務所を通さず貰った金品をポッケないないしてただけの下劣な話です。

弊社にも、○○マーケティングとか○○企画と名乗る会社からこの事件に似たような方法の宣伝企画を電話で持ちかけられることがよくあります。

つまり、そこそこ名の知れたタレントさんや元スポーツ選手のブログやSNSを通じて「今朝、飼っていた犬が亡くなってプレシャスさんというペット葬儀会社に葬儀をお願いしたのですが、とても良い会社でした」というような、ありもしない虚偽の内容を掲載する変わりに、宣伝費を支払うというものです。

あるいは本屋で売ってもしない雑誌の取材という名目で既に過去の人になった元有名人のインタビューを受けて、こちらが掲載料を支払うという訳の分からない理屈を平気で売り込みにくる会社からも頻繁に電話があります。

 

面倒なことに、この手の電話は全て代表である私にかかってきます。

もちろん全て断っています。

私は宣伝や広告に大金を使うことがあまり好きではありません。

極端に抵抗を感じます。

それは最高の宣伝が何であるかを知っているからに他なりません。

 

最近はSNSの普及によりmixi やfacebook やtwitterなどで一般の人もネットを通じ世界に向けて情報発信できることが安易になりました。

事実、当社が執り行ったペット葬儀の様子を動画や写真で撮影し、自分のブログに掲載される人も少なくはありません。

そういう皆様は当社の宣伝目的ではなく、永眠したペットの旅立ちの様子を記録しておくのを目的とされているので、わざわざ当社の名前や連絡先は掲載されません。

稀に、ペットセレモニーを通じ、当社の理念や姿勢に共感を持ってくださった人は、ご好意で当社の社名を掲載してくださっていますが、そういう人達は良識があるので、ちゃんと事前に当社に確認をされます。

そのような場合は、その人が自分のペット葬儀を経験した率直な感想であるので、快く承諾させてもらっております。

我々、一般人のブログはタレントさんや有名人のブログと違って、よほどのことが無い限り、ごく限られた小数の人の目にしか触れないものでありますが、それ故に正直に本音で好きなことを書けるのです。

そして、我々、一般人のブログの読者はごく親しい友人達が中心であることが多く、そのような人達がブログを読んで本当に知りたい情報であるなら、ブログのコメント欄ではなく、直接電話やメールで確認してきます。

 

最高の宣伝。

それは信頼できる家族や友人・知人からの口コミであり、最終的にそれに勝るものはないのです。

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