2011-12

早いもので今年も残すところ後、わずかとなりました。
 
我々も仕事上、この一年間で数えきれないほどのお別れに立ち会ってまいりました。
 
1番多かったお別れは犬ちゃんで、次に多かったのが猫ちゃんとのお別れでした。
 
でも今回、ご紹介させてもらうのは犬ちゃんや猫ちゃんの話ではありません。
 
 
 
一匹のハムスターの話を紹介したいと思います。
 
 
 
そのハムスターがペットショップで鶴見区のある家族と出逢ったのは今から約2年ほど前に遡ります。
 
当時、小学1年生だった一人っ子の息子さんのために両親がプレゼントをしたのです。
 
ハムスターはハムタと名付けられ家族の一員になりました。
 
ハムスターは1日平均体重の15%ほどの水分を補給するのですが、ハムタくんは水が嫌いでほとんど飲まず、変わりにキャベツなどの野菜をよく食べて、その野菜から水分を補給するような少しだけ偏食癖のあるハムスターでした。
 
それだけハムタくんの家の野菜は新鮮だったのかもしれません。
 
ハムスターは体温調整のため、頻繁に毛づくろいをします。また綺麗好きで寝床を便で汚すことを嫌い、ちゃんと場所を決めて行います。
ハムタくんも優しい家族に見守られ、決められた場所で用を足す、お行儀のいい子に成長しました。
 
ご家族もそんなハムタくんを愛し、息子さんは、まるでハムタくんを弟のように可愛がり、ご両親もハムタくんを優しく手で撫でてあげるのが日課となっていました。
 
ハムタくんが家族の一員になってから1年半ほどした頃、お父さんがいつものようにハムタくんの首周りを指を撫でているときにハムタくんの右耳の下にシコリのようなものがあることに気づき、病院に向いました。
 
動物は全身を毛で覆われておるため、シコリのような異物を普段の生活から飼い主さんが発見することは極めて困難であり、実際、犬ちゃんや猫ちゃんの場合、飼い主様より先にトリマーの方によってそのようなシコリを発見することも少なくありません。
 
人間の手によりトリミングを行わないハムスターの場合、体にできたシコリを飼い主様が見つけることは稀なことで、それだけハムタくんとご家族との触れ合いの機会が多かったことの表れだと思います。
 
ハムタくんは検査の結果、悪性のリンパ腫であることが判明しました。
 
ご家族はすぐに除去手術をするように医師に懇願しましたが、医師は「血液性の癌ですし、おそらく転移も始まってるでしょうから除去してもすぐに再発すると思います」
と厳しい現状を伝えました。
家族はやむを得ずハムタくんに医師が薦める抗癌剤治療を施す選択をしました。
 
医師はハムタくんに抗癌剤を含ませた水を飲ませてあげることが家族のしてあげれる唯一の治療だと説明しました。
 
説明を受けた家族は最初、水嫌いのハムタくんが素直に抗癌剤が入った水を飲んでくれるかが心配でした。
 
しかし、ハムタくんはその日から変わったように水を飲むようになったのです。
一生懸命、抗癌剤の入った水を飲むハムタくんの姿を見た家族は「きっとハムタも生きたいんだ」と思い、そんなハムタくんを応援するように皆で出来る限りの在宅治療をする決意をしました。
 
ハムタくんと家族の闘病の日々が始まったのです。
 
 
ハムタくんが発病してから家族は、今まで以上にハムタくんの様態を気遣うようになり、時間さえあれば、ハムタくんの様子を伺うようになりました。
 
そんな家族の思いとは裏腹に腫瘍は日に日に大きくなり首から胸の辺りまで膨らんでいき、ハムタくんの左手は腫瘍に押しつぶされ歩行に障害をきたすようになり、残った3つの手足でフラつきながら抗癌剤の入った水と食料をとりにいくようになってました。
 
さらに腫瘍は膨れあがり右手をも覆い隠し、ハムタくんは毛づくろいも自分でできなくなってしまいました。
この頃、そんなハムタくんを見るのも辛くなったご家族はある決断をします。
 
もう充分頑張った・・・安楽死をさせてあげよう・・・
 
しかし、そのことを医師に相談した結果、「ハムスターに安楽死の前例がない」との理由から、断られてしまい、厳しい結果と重い現実を受け止めることになりました。
 
もはや毛づくろいしようとするだけで転んでしまうハムタくんの姿を見るたびに涙がこぼれましたが、家族は「一番辛いのはハムタなんだ」と目を背けるのではなく、毎日、ハムタくんを湿らせたカーゼで拭いてあげることにしました。
 
 
両手が使えなくなったハムタくんは後ろ足のみで痩せた体と大きく晴れ上がった腫瘍を引きずるように移動し、抗癌剤が含まれた水分の補給を続けていました。
 
その姿を見て家族は思いました・・・
ハムタは「生きたい」というより、「我々家族の為に生きようとしている」のだと・・・
 
 
病気を患った者に時の経過は残酷で腫瘍は頭部から上半身を包むように膨れ上がり、原型をとどめなくなってしまったハムタくんの体は、移動することすらできなくなってしまいました。
 
家族はハムタくんの口元に水と食料を運んであげ、綺麗好きだったハムタくんのために便も日夜問わず、寝床から取り除いてあげました。
 
それでも膨張をやめない腫瘍は呼吸をも妨げるほど大きくなり、家族は呼吸器と保育器を取り寄せ全力でハムタくんの治療と看護を続けました。
 
 
 
そして発病してから半年後・・・
家族の介抱空しく、ハムタくんは息を引き取りました・・・
 
 
実に6ヵ月。人間に換算して20年間以上の壮絶な闘病生活を経て、ハムタくんは永眠したのです。
 
享年2歳一ヶ月。
 
ハムスターの平均寿命は2歳~2歳半なので、ハムタくんは寿命をまっとうしたと言えるでしょう。
 
ハムタくんのお別れの儀は弊社プレシャスコーポレーションが担当し、ハムタくんが一生を過ごした自宅でご家族が見守る中、執り行われました。
 
その席上でもハムタくんのご家族は「できることはした」という思いと「まだしてあげれることがあるのではないのか?」という相違する感情を交差させながら、見送っておられました。
 
それだけご家族にとっても闘いの日々だったのでしょう。
 
 
 
 
でも私は血液性リンパ腫という不治の病におかされながらも、ハムタくんは家族の誠意とその誠意に応えながら、苦痛にも耐え、神様から授かった寿命を一瞬足りとも無駄にすることなく天に召され、 家族の方たちも、そんなハムタくんを見守り、励まし、支えとなって責任をまっとうされたと思います。
 
 
 
 
毎年恒例の行事となってる清水寺での「今年を表す漢字」に「絆」が選ばれました。
 
 
ハムタくんとハムタくんの家族との深い「絆」こそ弊社プレシャスコーポレーションの考えるペットと飼い主様の理想であり願いでもあります。
 
私は、ハムタくんの家族のようにペットを愛し、ペットを家族として一緒に歩んでいかれる人が一人でも多く増えてほしいと思っておると同時に、ハムタくんのように素晴らしい家族と出会えるペットが一匹でも多く増えることを心から願っております。
 
 
 
 
 
 

お知らせ



以前からお問い合わせが多かった家族葬の流れ、一任個別火葬との違いを当ホームページの

「葬儀の流れ」の中でリニューアルさせてもらいました。

 実際に弊社で執り行った家族葬で撮影した画像も使っており、全体の流れや雰囲気が伝わりやすくなったと思います。

 よかったら御覧下さい。

花葬

一匹のノラ猫が枚方市の、とある家族の自宅の庭に遊びにくるようになったのは今から6年ほど前でした。
 
当時、小学生だった家族の長男が一人で留守番しているときに、そのノラ猫は塀を乗越えて庭に置いてあった物置小屋の屋根の上で日向ぼっこをしていたらしいです。
 
好奇心旺盛だった息子さんは、脚立を手にノラ猫に近づこうとしたのですが、その光景を見たノラ猫はゆっくり立ち上がると身軽に塀を飛び越え、走り去っていきました。
 
 
息子さんは、もう一度戻ってくることを願い、物置小屋の屋根の上にソーセージとミルクを入れた紙のお皿を置いて、自分の部屋の窓からずっと見張っていたのですが、その日、猫は再び姿を見せることはありませんでした。
 
翌日、息子さんは学校から下校すると玄関ではなく庭の物置小屋に直行しました。
お皿のミルクは残っていましたが、ソーセージはなくなっていました。
 
たったこれだけのことだったのですが、息子さんは飛び上がるほど嬉しかったようで、その日から、お母さんの目を盗んで、冷蔵庫から食料を調達しては、物置の屋根に運ぶことが日課となりました。
 
その日を境に、夕方になると屋根の上まで食料を食べにやってくるノラ猫の姿を部屋の窓越しに見ることが息子さんの楽しみになっていました。
 
物置小屋は家の死角に設置してあり、息子さんの部屋の窓からしか、見ることができないこともあって、息子さんは一ヶ月以上、家族に隠れてノラ猫に食料を与え続けていました。
 
家で飼うことも考えたのですが、以前、「犬を飼いたい」両親に言ったとき、烈火のごとく大反対された苦い経験があったため、息子さんは内緒でこの行為を続けていくことにしました。
 
時折、食料を食べてる猫を間近で見ようと接近を試みたこともあったのですが、部屋の窓を開けただけで、猫はすぐさま去っていきました。
家猫と違って警戒心が強いノラ猫特有の行為だと思い、息子さんは部屋の窓から、この光景を見守ることに専念することにしました。
 
それだけでも、楽しかったそうです。
 
そんな、ある日曜日の朝、リビングでテレビを見ていたとき、キッチンで朝食をとっている両親の会話が耳に入ってきました。
 
「最近、物置小屋の屋根にノラ猫がよくいるのよ。布団たたきで追い払うんだけど、次の日、またやってくるの・・・」
 
「ほ~~猫が・・・家まで入ってくるのか?」
 
「ううん。物置の屋根にしかいないけど、何か食べてるの。ネズミとかだったら気持ちわるいから、あなた後で見てきてくれない」
 
「そうか・・・そりゃ不衛生だな。わかった後で見てみる」
 
こんな両親の会話を聞いた息子さんは猫に食料を与えていた事実が両親にバレることをおそれ、慌てて、裏口から庭に出て、脚立とモップを取り出し物置の屋根を掃除し、猫の食べ残しや足跡を拭取りました。
 
時間にして3分ほどの間にこの作業を済まし、脚立とモップを元の位置に戻して、何事もなかったかのように自分の部屋に戻りました。
 
戻った部屋の窓から物置小屋の屋根を点検してるお父さんの姿と脇で見守るお母さんの
姿が見えましたが、何食わぬ顔でゲームなどして猫に食料を与えていた証拠の隠滅に成功したそうです。
 
ところが、そう思ったのもつかの間、両親が揃って部屋に入ってきて、「お前何か隠してるやろ?」とお父さんが言いました。
 
どうやら、掃除したての屋根と濡れたモップがアダとなり、両親には全てお見通しだったようです。
 
最初は苦し紛れに言い逃れしていたのですが、両親の鋭い問い詰めに観念した息子さんは猫に食料を与えていたことを認めました。
 
怒ったのはお父さんより、むしろお母さんで「どうりで最近、台所から物がなくなるなって思ってたのよ」と叱ったそうです。
 
それでも息子さんは両親に
「お願い!部屋には絶対入れないし、ご飯をあげてるだけだから!屋根も毎日掃除もするから!」と涙を流して懇願しました。
 
いくら言っても引き下がらない息子さんに押し切られる形でお父さんは承諾してくれたのですが、元来、動物が苦手のお母さんは許してくれませんでした。
 
話は平行線のまま終わり、息子さんは、部屋に閉じ篭って、その日の昼食と夕食をとるのを拒否し、無言の抵抗を続けました。
 
見かねたお母さんは「テストの点数アップと庭と部屋の掃除と宿題をちゃんとやること」を条件に猫にご飯をあげることを認めてくれたのです。
 
これで、家族に隠れることなく、猫に食料を与えられることになり息子さんは大喜びしたそうです。
 
次の日、お父さんが「キャットフード」を買ってきてくれたのですが、どうやら猫は息子さんが与え続けていたソーセージの味に馴染んでいたようで、あまり食べなかったそうです。
 
息子さんは猫にアニメキャラからとった「チョッパー」と名前をつけていたのですが、息子さん以上に猫に食料を与えることを楽しみにしだしたお父さんが勝手に「ノラ」と呼んでいて、その都度、「ノラじゃない!チョッパーだよ」と注意しても、次の日はまた「ノラ」と呼んでる有様でした。
 
そのうち、お母さんまでもが「これノラちゃんのご飯ね」と呼ぶようになり、いつの間にか猫の名前は「ノラ」になっていました。
 
この頃、ノラちゃんは家族にも慣れ、脚立を組み立てる音がしただけで、どこからともなくやってきて、美味しそうにご飯を食べるようになり、息子さんが撫でても逃げなくなりました。
 
月日は流れ、息子さんが高校生になるころ、ノラちゃんのご飯をあげるのはお母さんの日課になり、屋根掃除はお父さん仕事になっていました。
 
そればかりか、あれだけ反対してた両親だったのに、ノラちゃんの可愛らしさにすっかり魅了されて、自宅にも入れるようになっていたのです。
 
学業の他にクラブ活動やアルバイトでほとんど家に居ることが減った息子さんでしたが、家にいるときはノラちゃんを昔と同じように可愛がっていました。
 
 
 
ノラちゃんに異変を感じたのはお母さんでした。
ほとんどご飯を食べようとしなくなったのです。
 
異変に気づいた夜、家族はノラちゃんをお父さんの車で動物病院に連れていきました。
家族は医師より、ノラちゃんが末期の癌におかされてることを知らされました。
 
ノラちゃんが家に来たときの年齢が分からなかったため、ノラちゃんの正確な年齢はわからなかったのですが、医師から、「おそらく15歳以上でしょう」と言われると同時に
「高齢ですし、手術には耐えれないでしょう。このまま自宅でゆっくりさせてあげてください」と告げられました。
 
安楽死という選択もあったのですが、家族は皆でノラちゃんを自宅で介護する道を選びました。
 
そして病院に行った日から、約一ヵ月後、家族が見守る中、ノラちゃんは永眠したのです・・・
 
 
そんなノラちゃんのセレモニーを弊社プレシャスで執り行うことになり、ご家族は家族葬の後、火葬ではなく、自宅の庭に土葬してあげることにしました。
 
土葬する場所はノラちゃんが初めてこの家にやってきた物置小屋があった場所に決めました。
 
物置小屋を取り壊し、そこに息子さんとお父さんがスコップで穴を掘り、ノラちゃんと一緒に大好物だったソーセージと生花と一緒に棺に納め、埋葬しました。
 
想い出でもある、解体した物置小屋の屋根で墓穴を塞ぎ、家族全員で交代で土を重ねておられました・・・
 
 
ご家族は墓石をたてることは考えてらっしゃらないようで、お母さんがその場所に
たくさんの花の種をまいて、お花畑にすると仰ってました。
 
 
きっと春になる頃には、たくさんの花に彩られ、ノラちゃんの眠る場所はノラちゃんの想い出が詰まった家族の癒しと憩いの場所になってることでしょう。
 

不思議な関係

家族葬のご依頼をうけ、亡くなったペットちゃんの自宅にてセレモニーを執り行うとき、私たちスタッフとペットを亡くされたご家族の関係は「業者」と「遺族」という位置づけであります。
 
当たり前といえば当たり前なのですが。
 
 
 
家族葬のセレモニーは火葬の時間も入れて短くとも1時間半。長ければ4時間以上かかるときもあります。
 
かかる時間は参列される人数や、ご僧侶さんの読経の有無などによっても変わるのですが、時間差が出る1番の理由は参列者のご焼香の儀が終了した後、いざ出棺して火葬車におさめるまでの「ペットちゃんとご家族の最後の別れ」の時間の差によって変わってきます。
 
我々プレシャスコーポレーションはこの時間がセレモニーの最も重要な時間だと考えているので、急かすことは絶対にしません。(※当ブログ{4時間}参照)
 
ペットちゃんがお骨になる前に、ご家族それぞれが生前を彷彿させるその姿を眼に焼き付けておきたいものだということは重々に理解しているからです。
 
亡くなったペットちゃんが、たとえ呼吸をしていなくても、もし、このままの状態を保っておられるなら、ずっとそばにいたいし、いさせてあげたい。そして家においていてあげたい。
 
ペットを失ったとき、人は皆、最初はそう考えるものだし、同じようなことを口にされます。
 
もし、本当にそれが可能であれば、我々のような仕事は必要はないだろうとも思います。
 
しかし、呼吸をやめたその瞬間から自然へと還る道を歩みはじめるその光景は残された者たちの目には時に残酷に映るもので、その歩みを冷却などの手段によって、遅らすことはできても、止めることは不可能であります。
 
 
その現実をまざまざと見せ付けられ、ペットを失った事実からも目を背けることなく、受け止めた人たち。そして、その人と強い絆で結ばれたペットとの最後の別れの時間に口出しすることなどできはしません。
 
だから、いくら時間がかかってもご家族のお気持ちが
 
「もう神様のところへいかせてあげよう・・・」
 
「なるべく綺麗な姿のうちに見送ってあげよう・・・」
 
そのような変化が訪れるまでお待ちするように心がけております。
 
 
過去に2回だけ、この気持ちの切り替えが、どうしてもできない飼い主様がいらっしゃいましたが、そのような心境も深くご理解できますので、ペットちゃんの状態が少しでも保てるように施し、翌日に変更させてもらったこともあります。
 
 
この最後の時間をペットを亡くされたご家族と一緒に過ごすことになる我々は、時間の経過とともに、冒頭で述べた「業者」と「遺族」ではなく、共に弔う「同士」のような関係になっていることがあります。
 
以前にもこのブログで書いたとおり、弊社スタッフは皆、ペットロス経験者であります。
その経験から、ペットロスの痛みと悲しみを少しでも分かち合えることが、その大きな要因かもしれません。※(当ブログ{残された者たちの役割}{会社理念}参照)
 
この不思議な関係は言葉では上手く説明できないんですが、その日、初めて会ったはずなのに、以前から親交のあった知人のような感覚で生前のペットちゃんのお話を聞かせてもらったり、ペットちゃんが元気だった頃の動画や写真などもみせてもらったりします。
 
葬儀後、セレモニーを担当したスタッフと依頼者家族の方たちとの間でメールや手紙のやりとりが続くことも珍しいことではなく、そのような方々は、その後、我々にとって大切な協力者になってくださることもあります。
 
協力者というと、語弊になるかも知れませんが、家族葬を依頼してくださった方たちの周りで、同じようにペットちゃんの不幸があったときに弊社を推薦してくださるケースが多く、そのことを裏付けるように、プレシャスで依頼を受けた半数以上のセレモニーが過去に弊社で家族葬を担当させてもらった方からの紹介によるものであります。
 
 
私はそのことに感謝すると同時に素直に喜びを感じています。
 
 

ずっと腕の中

ある大阪在住のご家族が東京ディズニーランドに旅行にいかれたのは今から14年前でした。
 
当時中学生だったご家族の一人娘さんはディズニーランドを満喫し、大阪へと帰る日に何気に立ち寄ったペットショプで産まれたばかりのアメリカンショートヘアーの赤ちゃんに釘付けになりました。
 
その仔猫をひと目みたそのときから、運命を感じるくらい強い絆が生まれ、言葉では言い表せない強く優しい力が娘さんを包みこみました。
 
この感覚は、ペットとの最初の出会いの中で生まれる絆の誕生の瞬間であり、これだけは経験した人にしかわからないものだと私は思っています。
 
「この子がほしい。うちに連れて帰る」娘さんは両親にそう言いました。
 
両親は娘さんの気持ちは理解できたものの
「今から新幹線で2時間以上かけて帰るのに仔猫も大変でしょ」
「大阪にもペットショップはいくらでもある。どうしてもほしいなら大阪で探せばいい」
おそらく、そのような言葉で娘さんを宥めたことだと想像できます。
 
でも娘さんは「アメリカンショートヘアーの仔猫がほしいんじゃないの。この子だから言ってるの」
そう言って譲らなかったそうです。
 
幾度か、このようなやりとりの中で、娘さんの強い意思を受け止めたご両親は、最終的に快く了承したそうです。
 
娘さんは子供の頃から貯めていたお小遣いを全額出して仔猫ちゃんをショーケースから出してあげました。
 
初めて娘さんに抱かれた仔猫ちゃんは手のひらに収まるほどの大きさでした。
 
東京で生まれた仔猫ちゃんは娘さんに抱かれたまま新幹線に乗って、生涯を過ごすことになる大阪に向いました。
 
仔猫ちゃんは「マロン」と名付けられ、その日から家族の一員になりました。
 
その後、マロンちゃんは大阪の生活にもすぐに馴染み、すくすくと成長し、その成長を見守るなか、中学生だった娘さんも成人になり、そのころにはマロンちゃんは家族にとっても、なくてはならない存在になっていました。
 
その間、楽しいことばかりではなく、娘さんのお父さんが病気で亡くなるという悲しい出来事もありましたが、マロンちゃんは家族として、それらの出来事も一緒に経験し、時には家族の心の支えとなって過ごしていました。
 
娘さんが最初にマロンちゃんと出合ったのは中学生だったのですが、マロンちゃんが大阪に来てその年齢と同じ年月分が過ぎようとしていたある日、家族はマロンマちゃんは異変に気づきました。
 
娘さんはマロンちゃんを病院に連れていき、主治医の医師からマロンちゃんの体は家族からお父さんを奪ったのと同じ病気、癌に犯されていることを伝えられました。
 
癌の宣告をされたその日から、マロンちゃんのご家族は可能な限りの治療を施したのですが、病魔と年齢には勝てずマロンちゃんは15歳の誕生日を迎えることなく息を引き取ったのです・・・
 
息を引き取ったのは新幹線で大阪に向かってきたときと同じ場所、娘さんの腕の中でした・・・
 
 
娘さんのお母さんからマロンちゃんの家族葬のご依頼を受け、私とスタッフ2名で向かうとき、たまたま会社に居合わせた、この日、非番だった猫好きのスタッフF君(※当ブログ{スタッフF君の決断}を参照)が「猫の家族葬なら同行させてください」と言ったので3名で向かうことにしました。
 
深夜に差し掛かる時間帯であったので、私とF君は業務車を依頼主様宅の少し手前のコインパーキングに駐車し、徒歩で向いました。
 
セレモニーに必要な火葬車だけをもう一人のスタッフが運転し、お約束の時間の少し前にご自宅に到着しました。
 
玄関先で娘さんと挨拶を交わし、マロンちゃんが眠っている部屋に通され、3名のスタッフと共にマロンちゃんに手を合わせた後、セレモニーの準備に取り掛かりました。
 
準備をしている、その間もマロンちゃんは数え切れないほどの鈴蘭の花を散りばめたベットではなく、頭を娘さんの左肩にのせた状態でマロンちゃんの指定席である娘さんの腕の中にいました。
 
そしてセレモニーの準備が整い、娘さん自らの手でマロンちゃんを祭壇に運ぶとき、一度はマロンちゃんを抱きかかえ立ち上がったものの、祭壇の前まで来たとき力なく座り込んでしまい、泣き崩れてしまいました。
 
部屋が悲しみの空気に包まれる中、数分が過ぎた頃、我々を気遣ってか、お母さんが娘さんに「早く寝かせてあげなさい」と促すように仰りました。
 
お母さんのお気遣いも痛いほど伝わった私は部屋からお母さんを呼び出し
「我々のことは気にしなくて構いません。いくら遅くなってもかまわないので、そのタイミングは娘さんに決めてもらいましょう」と言いました。
 
我々が到着してから終始、気丈に振舞っておられたお母さんも、この時は目に涙を浮かべ「どうもすいません。ありがとうございます」と深々と頭を下げておられました。
 
お母さんと部屋に戻ったとき、娘さんは祭壇の前でマロンちゃんを抱きしめたままの状態でしたが、生前のマロンちゃんのお話を私が伺ったときは顔を上げ、丁寧にお話してくださいました。
 
その後、娘さんと、お母さんと、葬儀に参列されていた娘さんの友人を交え我々に先に書いたマロンちゃんとの出会いから今日までのお話を聞かせてださりました。
 
娘さんはマロンちゃんのエピソードを語るにあたり、時折、笑顔を見せることもあったのですが、すぐさま悲しき現実に引き戻され、涙が途切れることはありませんでした。
 
娘さんは「それでも最後のとき私の腕の中でマロンを逝かせてあげれてよかった」と言い、気持ちを奮い立たせるように立ち上がるとマロンちゃんを祭壇の上に運び、ゆっくりと優しく寝かせました。
 
セレモニーが始まり、我々スタッフ3名もご焼香させてもらい、マロンちゃんは娘さんと友人の手により出棺され玄関を出て自宅横にとめた火葬車の中におさめられました。
火葬炉の扉を閉めるとき、娘さんはもう一度、両手でマロンちゃんを抱きしめていました。
 
火葬炉の重く冷たい扉が閉まりマロンちゃんは家族の用意された鈴蘭の花と一緒に火葬炉に入り長年住み慣れた自宅の脇で家族が見守る中、天に召されました・・・
 
 
 
東京で生まれ、娘さんの手のひらに抱かれて大阪に来て、その大阪で両手でないと抱きかかえれないほど大きく成長したマロンちゃんは天へと召された今、お骨となり、また手のひらのに収まるほど小さくなりましたが幸福な一生だったに違いありません。
 
なぜなら、出会ったときから最後を迎えたとき、そして天に召されるその間際から召された後も。
 
ずっとずっと運命の人の腕の中にいたんだから・・・
 
 
 
 
 
 
 

その日

以前、弊社で家族葬を執り行った、あるペットちゃんのご葬儀に読経に来ていた僧侶さんがご遺族の方々に「動物は死期が近いことを自覚したときに、臨終の日を自分の意志で決めることができるのです」と言っておられました。
 
つまり、不慮の事故により訪れた、突然の死でない限り、2~3日程度なら「その日」を選んで逝っているという内容でした。
 
根拠もないような話ではありましたが、その時のセレモニー担当として遺族の方々と一緒にご僧侶さんの説法を聞いた私は妙に納得したような記憶があります。
 
なぜならば、このような仕事をさせてもらってる立場上、ペットを亡くされた人たちにペットちゃんたちの最後の状況を聞かせてもらうことも少なくなく、そのような話を聞いてると、まさに「その日」を選んで逝ったとしか思えないようなことがたくさんあるからです。
 
「東京で働いている息子がお盆に帰省した日に・・・」
「怪我で入院していた主人を待ってたかのように退院したその翌日に・・・」
「娘が修学旅行から帰ってきた日に・・・」
 
数えればキリがないほど、そのような話を耳にします。
 
 
初冬にしては暖かで過ごしやすかったある日、四条畷市のヨークシャー・テリアのラムちゃんが永眠しました。
 
ラムちゃんは幼少期から癲癇の持病を煩っており、そんなラムちゃんを気遣いながら飼い主様ご家族はとても大切に育ててこられました。
 
寒さが苦手で病弱だったラムちゃんでしたが、温かい家族の元、成犬に成長し誕生日も13回迎えることができました。
 
ところが今年に入り大病である腎臓病を煩ってることが病院により判明し、6月に手術をうけることが決まりました。
 
13歳という高齢に加え、決して体が丈夫でなかったラムちゃんにとって、腎臓病の手術は過酷なものだったと思われますが、ラムちゃんは見事に大手術に耐え、術後も順調に回復し、夏になるころには元気な姿を取り戻したのです。
 
 
秋が過ぎて冬になり「これでまたラムちゃんと新しい年を迎えることができる」と家族が思っていた矢先、ラムちゃんの容態は急変し、その後、回復することなく、家族の願いが届かないまま13年の犬生に幕をおろしました・・・
 
ラムちゃんのセレモニーを担当したスタッフから、その報告を受け、ご家族の方々が相当しずんでおられたことを聞き、少し気掛かりになった私は、セレモニーから二日後、ラムちゃんのご家族の自宅に電話しました。
 
お電話に出られたのはご主人さんでした。
その旨、気掛かりになったことをお伝えするとご主人さんは「わざわざありがとうございます」と丁寧に応対してくださり、悲しみから開放されていない中にも関わらず逆に私を気遣ってくださいました。
 
その会話の中で私は「ラムちゃんは暖かな日に亡くなりましたね。翌日から急激に寒くなったので、寒いのが苦手なラムちゃんにとって、暖かな日に見送ってあげれたのは、せめてもの救いだったと思います」と言いました。
 
こんな言葉がペットを失った家族にとって、何の励ましにもならないことは、長年の経験上、承知の事実ではありましたが、私たちはに毎日のようにペットの死に立ち会うと同時に、残された家族とも向き合う仕事をしてる立場上、先立ったペットちゃんの気持ちを自分の思いに重ねてお伝えすることも、我々の大切な役割だと思っております。
 
ラムちゃんと一緒に新年を迎えたかったという家族の悲痛な願いは叶いはしませんでしたが、今年の冬は例年以上に寒さが厳しいと聞きます。
 
臨終の「その日」が僧侶さんが言ったようにラムちゃん自身の意志によるものだったら、寒いのが苦手なラムちゃんは暖かなその日を選んで逝ったのかもしれない・・・
 
ことの真意はラムちゃんに聞かない限り、わかりませんが、私には
 
「これ以上、家族の負担になってはならない」というラムちゃんの想いだったような気がしました・・・
 
ラムちゃんのご家族がラムちゃんへの思いとラムちゃんの想いを胸に新たな気持ちで新年をお迎えできることを切に願っております。
 
 
 

道しるべ

前日、このブログで家族葬の推奨を日々の活動で実施していることを書かせてもらいました。
 
その活動は、あくまでも亡くなったペットちゃんたちの立場の観点から考え、始めたものであったのですが、いざ家族葬を実施してみると、悲しみに暮れる飼い主さんたち遺族にとっても、家族葬がその悲しみの出口を見出すきっかけになることを立会人として感じることがあります。
 
その、きっかけとは「けじめ」と「区切り」であります。
 
 
弊社協賛のお寺さんから守口市のネコのミルちゃんの弔報を受け、ミルちゃんのご家族様にお電話をかけたのは肌寒い朝でした。
 
前日のブログで書いたとおり、電話口に出られたの飼い主さん宅の奥様はミルちゃんが亡くなられたこともあり、多少の混乱と気持ちが沈んでいたせいもあって、弊社のセレモニー内容の説明が明確に伝わらず、ただ、「個別で火葬してあげたい」そして「お骨にして返してください」という切なる思いだけを私にお伝えくださいました。
 
翌日、指定されたお時間の少し前に到着した私を、飼い主様は玄関でご夫婦揃って対応してくださいました。
 
そのとき、旦那様のほうから「娘がこちらに向かっております。火葬される前に、もう一度、ミルの姿を見届けたいと言ってるんです。少し待ってもらえますか?」と言われました。
 
奥様に比べ比較的、気丈な面持ちだった旦那様の話を伺った私はあらためて
「娘さんが来られるなら、なおさら家族葬をしてあげてはどうですか?」
と家族葬のお話をしました。
 
悲しみの日から一夜明けたこともあり、弊社のセレモニー内容をご理解くださった飼い主様ご家族は、急遽、家族葬を執り行うことにされました。
 
本社から近いこともあり、急いでセレモニーに必要な祭壇等をとりに帰り、再び飼い主様宅に向いました。
 
私が到着したとき、娘さんたちも揃っておられ、奥座敷に設けられた生花で飾られたお手製のお棺の中で、横たわるミルちゃんを撫でておられました。
 
私たちは祭壇、線香、ろうそく、ご焼香を設置し、プレイヤーでお経を流し、準備を整えました。
 
神様のもとへ旅立つための旅装束をミルちゃんに施してあげた後、祭壇に運びました。
迷わず神様のもとに行けるように旦那様にミルちゃんの左手に数珠を巻いてもらい、家族葬を執り行いました。
 
旦那様、奥様、娘様の順にご焼香を済ませ、それぞれがご焼香の後、「ちゃんといい所に行くんやで」「ミルちゃんもっかい戻っておいで」「本当にありがとう」とそれぞれの想いをミルちゃんに伝え、ミルちゃんのお顔やお腹を撫で家族全員がミルちゃんの手を両手で握っておられました。
 
ご家族の皆様のご焼香の後、私共もご焼香をさせてもらい、ご家族がしたように私自身もミルちゃんの手に触れさせてもらいました。
 
ミルちゃんの手には、ご家族の手の温もりが残っており、それがミルちゃん自身の体温のように私には感じました。
 
私は霊魂とかの、たぐいのものを見たことはありませんが、このような仕事をしていると、目には見えなくとも魂の存在を感じることがあります。
 
ミルちゃんの手に触れたときもミルちゃんの意識の塊のようなものを感じることができました。
 
それは言葉で説明ができるものではありませんが、きっとご家族の皆様も私以上にミルちゃんの存在を感じていたと思います。
 
家族葬のセレモニーは、見方を変えたら、ペットの死から少しは平静を取り戻された遺族の皆様に、あらためて、もう一度、悲しみに向き合わすという残酷な儀式のように写るかもしれません。
 
でも私は、残された家族にとって、日常の生活を取り戻す上で、それをも大事な事だと思っております。
 
家族葬を終え、火葬とお骨あげを無事に済ませ、2時間後、ミルちゃんのお骨は家族のものへ返されました。
 
骨壷におさめられたミルちゃんを抱いた家族の顔は悲しみの中にも安堵感のようなものが漂っておられたことを担当スタッフから聞き、それは、飼い主として、家族として、やれることはやりきった感ともいうべきか、最後まで見届け、責任をまっとうしたという感情の表れだと私は思いました。
 
そして、これこそが私が文頭で言った「けじめ」や「区切り」であり、先立ったペットちゃんが家族に残した、新たに進むべき「道しるべ」になるのではないでしょうか・・・
 
 
 
 

プレシャスコーポレーションの料金に込められた思い

私たちプレシャスコーポレーションがペットちゃんたちとの最後のお別れの儀式として家族葬を推奨する理由は、過去にこのブログで書いた

ペットちゃんにかわって言いたい言葉 }や{会社理念 }を読んでいただけると
理解してもらえると思いますが、情報誌や電話帳を見て当社の存在を知り、ご依頼をしてくださる方には、なかなか、その真意が伝わないのが現状であります。
 
それに、ペット葬儀に限らず葬儀業界の古き悪しき体質と言うべきか、「祭壇」「ろうそく・線香」「お経」「ご焼香」といったセレモニーに欠かせない必需品目がオプション設定されており別料金でご請求される現実に原因があると思っています。
 
弊社の料金が高いか安いかは別の話としまして、プレシャスでは最初から、家族葬をすることを前提に料金表記させていただいておりますので、上記の祭壇等、最低限、セレモニーに必要なものは全て含んだセット料金となっております。
 
つまり、家族葬(祭壇、ろうそく、線香、ご焼香、お経すべて含む)→出棺→個別火葬→お骨上げ→返骨までの料金であります。
 
弊社で別料金が発生するのはご僧侶による読経を依頼者様が希望された場合だけであり、ご要望がない場合はプレイヤーでお経を流すようにしております。
 
このような事柄を大切なペットを亡くした直後の飼い主さんに電話で伝えきるのは難しく、失意の最中の人に長々と話すのも、失礼にあたると思うので、たいていの場合、大筋で最低限の説明をした後、ご住所と連絡先、そしてペットちゃんの種類を伺い、訪問させてもらいます。
 
ほとんどの依頼者様は、我々のような業者の位置づけとしまして、ペット火葬業者と認識されております。
 
そのため家族同様のペットの死に直面したとき、生ゴミと同じ扱いで、管轄のゴミ焼却所で処分されるのことなど論外であり、人間同様、最低でも個別火葬をしてやり、お骨上げをしてやりたいという思いから依頼される飼い主さんばかりであります。
 
そんな飼い主さんたちの思いは重々に理解しており、同じ価値観を共有している同志でもあると私は思っています。
 
 
そして、訪問のご挨拶させてもらったこのタイミングであらためて、プレシャスのセレモニーの流れを説明し、家族葬をお奨めさせてもらっております。
 
その説明を聞いたほとんどの依頼者さんは、快く家族葬を執り行うことにされます。
 
もちろんご近所さんの手前や、ペットの死で、仕事を欠勤できない社会認識等の理由でやられないケースもありますが、それらの理由も理解できますので、無理強いはいたしません。
あくまでも、会社理念である家族葬を推奨してるだけでありますから。
 
ただ、家族葬をお奨めさせてもらう際、よくこんな質問をされます
「私たち家族は、同じ料金で葬儀ができていいけど、なんで、わざわざプレシャスさんは、こんなことしてくれるの?」と
 
不思議に思われるのには、冒頭に述べた、葬儀業界の体質と、おそらく他の業者は火葬依頼を受け、当然のように火葬しか行わず、セレモニー関連は全て別料金体制で運営している現実にあるのでしょう。
 
もちろん、利益のみを追求した場合、火葬依頼を受けたら火葬だけに専念したほうがコストパフォーマンスもおさえれますし、時間的効率、スタッフの労力すべてにおいてメリットがあるのも事実です。
 
にも関わらず、弊社プレシャスコーポレーションが家族葬を追加料金無しで推奨するのは、このブログでも何度も書いてきた「慣れ親しんだ家で共に過ごした家族との最後のお別れ」こそがペットちゃんたちが望む理想の形だと確信しているからなのです。
 
 
それ以上でもそれ以下でもありません。
 
 
 
 
 

ペットたちが死の間際にとる行動・・・


我々が葬儀に立ち会った際、生前のペットちゃんの思い出話をいろいろと聞かせてもらいます。

 

中でもペットちゃんが死の間際、いつもと違う行動をしていたという話を、どの飼い主さんも口にされます。

 

「いつも私が家を出るとき玄関まで来て見送ってくれるのに、ずっと居間から動こうとせず、出て行く間際、悲しい声で鳴いていた」

 

「やたらにおとなしく、じっと私の顔をみるのです」

 

そういったペットちゃんのいつもと違う行動はきっと飼い主さんへのシグナルなんだと私は思っています。

 

言葉を話せないペットたちは彼らなりに何らかの方法で自分の死が近いことを家族に訴えているのでしょう・・・

そのような話の中で私が一番、心に残ったお話を紹介させていただきます。

 

 

 

寝屋川市のマルチーズのクックちゃん。

享年16歳

 

クックちゃんは生まれて間もない頃、自宅の階段から転げ落ち、腰と後ろ左足を複雑骨折しました。

飼い主さんはすぐに病院に駆けこみ、クックちゃんは手術をうけ、一命はとりとめたものの、骨折の影響で歩行障害が残りました。

 

怪我をさせたのは目を離した自分の責任だと、飼い主さんは自分を責め、クックちゃんの面倒を一生みようと心に決めたそうです。

 

お一人暮らしでお子様に恵まれなかった飼い主さんはクックちゃんを我が子のように大切に育てておられました。

 

クックちゃんは怪我をしたトラウマからか自宅の階段には近づこうとはしなかったようです。

 

階段というより、階段の最下段の半径50センチ以内にも絶対に入ろうとしなかったようで、そんなクックちゃんの気持ちを察した飼い主さんも生活するなかで、ほとんど2階には上がらず、1階の居間と台所のみで生活ができるように寝具も1階に移したそうです。

 

飼い主さんが唯一、2階に上がるのはベランダに洗濯物を干すときだけだったようなのですが、そんなときクックちゃんは1階から階段を上がっていかれる飼い主さんに向かって寂しげな鳴き声をあげていたらしいです。

 

歩行障害と階段のトラウマが残ったとはいえ、クックちゃんは優しい飼い主さんのもと、温かい家庭の中で幸に暮らしていたと思われます。

 

クックちゃんが16歳の誕生日を向かえた数日後、よく晴れたその日、飼い主さんはたまった数日分の洗濯物を干しに2階に上がろうとしました。

 

飼い主さんが2階に上がるときクックちゃんが鳴くのはいつものことだったのですが、その日はいつも以上に大きな声で鳴いていたらしいです。

 

気になったものの、たまった洗濯物を両手にかかえたままだったので、いったん2階のベランダまで運び、階段のところまで戻った飼い主さんは1階にいた、クックちゃんの行動を見て我が目を疑いました。

 

クックちゃんは悪い下半身を引きずるよにしながら前足と口だけを使って事故後、絶対に近づこうとしなかった階段を3段ほど、上がってきていたのです。

 

驚いた飼い主さんは急いで階段を降り、クックちゃんを抱き上げ、1階のいつもクックちゃん愛用のクッションの上におきました。

 

このクッションはクックちゃんが2番目に好きな場所で、眠るときはいつもここでした。

無理をして階段を上がったせいかクックちゃんはぐったりとしていて、異変に気づいた飼い主さんはクックちゃんがいつも通っていた病院に行く準備をしようとしました。

 

ところがクックちゃんは最後の力をしぼりだすように、クッションから這い出し、飼い主様の膝の上に擦り寄ってきました。

 

すぐさま飼い主さんがクックちゃんの両脇をもって顔を覗き込むように抱きかかえたとき、すでにクックちゃんの意識はなく、鍵も閉めずに病院に駆け込んだ飼い主さんはクックちゃんの主治医の医師により、クックちゃんの死を告げられたのです・・・

 

クックちゃんの葬儀を担当した私に飼い主さんは終始、涙声でこの話をしてくださり、最後に「クックは怪我させた私を恨んでるやろか・・・可哀想なことをした・・・不幸な運命を背負わせた・・・」と言っておられました。

 

葬儀を終え、飼い主さんの自宅を出る間際、私は「怪我をして不自由であったかもしれませんが不幸ではなかったと思います。それに、もし、クックちゃんが恨んでいたなら・・・」ここまで言って思わず涙に言葉がつまりました。

 

気を持ち直し「もしクックちゃんが恨んでいたなら最後の場所に膝の上を選ばなかったと思います」

そう私は伝えました。

 

気休めとかではなく、本当に私は心からそう思いました。

 

なぜなら飼い主さんの膝の上はクックちゃんが1番好きな場所だったんだから・・・

 

プレシャスコーポレーション

野村圭一

 

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プレシャスコーポレーションまで
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